信濃/ 阿島陣屋



ファイルNo0639


                            

@ あしまじんや 
  別名  −−−−−

A住所: 下伊那郡喬木村阿島 
B目標地点:喬木第一(阿島)公民館
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公共施設

F遺構等:茶室・説明板
G時代/人物: 戦国期/知久氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2005年02月

  

道案内 

中央高速飯田インタを下り国道153号線を松本方面に向かいます。元善光寺近くの座光寺の信号で右折し県道251号線をすすみ阿島橋で天竜川を渡ります。橋を渡って最初の信号(左角が自動車学校)を左折し、すぐの信号を右折します。500m先阿島の信号で左折し県道18号に入り信号から100mですぐ右折します。200mほど進んだ十字路を右折するとすぐ右手です。(この十字路をまっすぐ行くと藤ノ木橋、左に行くと安養寺です。安養寺には阿島知久氏の歴代廟所があります。) 

訪城備忘録

陣屋本体の遺構はまったくありませんが陣屋にあった茶室がそのまま移築もされずに残っています。二階建ての茶室はあまり無いものだそうです。修復はされているのでしょうが建物は美しいという印象です。

曙月庵
歴史

知久氏は戦国期には現在の飯田市の天竜川左岸に勢力を持った豪族でしたが、天文二十三年(1554年)頼元の時、武田信玄の伊那侵攻で滅びます。頼元の子の頼氏は家康の援護を受け神之峰城に復帰(1582年)しますが再度没落(1583年)します。頼氏の子の則直は関が原の戦いに従軍し、慶長十六年(1601年)阿島に三千石の旗本として陣屋を構えます。則直より11代続き明治を迎えました。 <現地案内板より>

【茶室:曙月庵】
嘉永元年(1848年)に十代頼匡が造営したものです。

  

近くの城・関連の城:知久平城 神之峰城