播磨/ 明石城



ファイルNo1574

現存櫓が残る

              手前 巽櫓 奥が坤櫓              

@ あかしじょう   
  別名 喜春城・錦江城
A住所:明石市明石公園
B目標地点:JR明石駅・明石公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地・公共施設

F遺構等:郭・現存櫓・石垣・水堀
G時代/人物:江戸期/小笠原氏・松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  JR明石駅から本丸まで10分
J撮影・訪問時期:2007年03月 
    2013年05月・2022年01月 他

  

道案内     公的駐車場 ⇒@  A

第二神明道路の大蔵谷インタより県道21号線を進み、1.6Km先の山陽新幹線のガード下の白水橋の信号で左折し県道16号線に入り伊川沿いに2Kmほど進みます。県道52号線へ左折し1.6Km先が明石駅前です。その間の左手が明石公園で、公園有料駐車場は県道16号線の明石駅近くにあります。または、国道2号線の大明石町1の信号で右折し、JRのガードをくぐるとすぐです。   

訪城備忘録

以前に訪城した時はまだ大震災の後の修理中でしたが、修復はすでに終わっており、二つの現存櫓が美しいです。2019年、明石城築城400年祭で、木々の伐採など整備され、さらに石垣が綺麗にされました 本丸から二の丸・東の丸と直線状に並ぶ主要部の石垣は、三の丸(現広場)からみるとまるで屏風のようです。

現存櫓は三の丸広場から見て右手が巽櫓、左手が坤櫓(ひつじさる)です。両方の櫓とも全国でもあまり残っていない三重櫓です。巽櫓は一層目が唐破風、二層目が千鳥破風、三層目が入母屋造り、坤櫓は一層目が千鳥破風、二層目が唐破風、三層目が入母屋造りです。 坤櫓のそばには天守台石垣がありますが、天守は建てられなかったため、坤櫓が天守代用と言われたようです。坤櫓は伏見城からの移築と伝えられていましたが、解体調査の結果、移築されたものであるとは確定したようです。

明石公園の南側(明石駅の西側)、堀の反対側、鷹匠町の信号そばに県道16号線沿いに家老織田家の長屋門が残ります。ここの織田家は犬山織田家(織田信長の叔父)の系統です。この長屋門は船上城の武家屋敷からの移築との事です。明石駅のホームから二つの櫓と屏風のような石垣が遠望できますが、電線・架線が邪魔でした。その電線は地下化され、今はすっきりと城跡が見えます。

2022年1月に伐採整備されてからやっと再訪しました。久しぶりに石垣を目の前にしてこんなに高く、りっぱだったっけかと改めて思ってしまいました。郭内の土塁も見やすくなってます。明石城は天下普請ではないですが刻紋(刻印)が多く残ります。巽櫓台石垣に最下部に大きな刻紋がひとつあり、天守台石垣の横、本丸石垣西側下の張り出し石垣に多数、東丸の東側石垣の多く残ります。1400余りあるそうですがそんなには見つからなかったですわ^^; この刻紋は町人が普請した(手伝いをした)証しの刻紋だそうです。 明石公園東入口から約1km東側、市立天文科学館の北側にある月照寺(明石市人丸町1・柿本神社の西側)の山門は明石城の切手門として使用されたものが明治に移築されたんですが、元々は伏見城の門で小笠原忠政が拝領したものです。

※ 三階櫓は全国に十二基しか残っていないそうです。詳細は、坤櫓(ひつじさる)・巽櫓(明石城)、月見櫓・艮櫓(うしとら)(高松城)、宇土櫓(熊本城)、伏見櫓(福山城)、西ノ丸三重櫓(彦根城)、清州櫓(名古屋城)、富士見櫓(江戸城)、丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓(弘前城)。
歴史

元和三年(1617年)に小笠原忠政(のち忠真)は松本より十万石で移封となり、船上城に入城しましたが、手狭であったため、明石城の築城を開始し、元和五年(1619年)に完成しました。忠真は寛永九年(1632年)に小倉に転封となり、寛永十年(1633年)には松平(戸田)康直が入城、その後は大久保氏、松平(藤井)氏、本多氏などが居城し、天和二年(1682年)に越前大野より松平直明が六万石で入城し、以後、松平氏(越前系)が明治維新まで続きました。

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三の丸から手前が巽櫓、奥が坤櫓
天守台
坤櫓と巽櫓
坤櫓と巽櫓のブルーライトアップ
現地案内板より
明石駅ホーム上から 2022年1月
  
坤櫓の窓より巽櫓を見る        坤櫓<ひつじさるやぐら>  
東の丸 東の丸石垣と薬研堀
二の丸の桜堀側石垣
本丸石垣と桜堀      天守台石垣
坤櫓
坤櫓        巽櫓
織田家長屋門
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