讃岐/ 高松城



ファイルNo1479

北の丸の月見櫓・水手御門と東三の丸の艮櫓が現存建物の海城、本丸の縄張りもめずらしい城

              桜の馬場より天守台を見る   

@ たかまつじょう 
  別名 玉藻城

A住所:高松市玉藻町 
B目標地点:玉藻公園 
C形式:平城(海城) D比高:−−m 
E現況:公園・市街地 

F遺構等:郭・櫓・門・石垣・水堀・碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/生駒氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  艮櫓横駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2006年05月・2019年07月

  
月見櫓、続櫓と水手御門

【道案内】  ← 旭門・艮櫓そば無料駐車場の位置

高松自動車道の高松東インタで下り、県道43号線に入ります。2km先の信号で右折します。3km先の室町の信号(栗林公園の前)で右折し国道193号線に入ります。3km先の寿町一丁目の信号で右折し、350m先、城内中学手前で左折したらすぐ駐車場です。
   


【訪城備忘録】

往時は海に突き出した海城であった高松城ですが、今は周囲を埋め立てられてしまっていますが、中心部は玉藻公園として、天守台石垣と内堀や月見櫓・水手御門、艮櫓などが現存しています。今は陸続きですが、本丸は往時は浮き城状態でした。三の丸から見ると雰囲気がわかります。

2019年07月再訪
13年ぶりに訪城しました。天守台にあった神社はなくなり、石垣が相当に修復・積み直しされてましたが、こんなに広い範囲に石垣が残っていたかと改めて感じた次第です。現存櫓に葵の御紋、松平氏の城であるため当然と言えば当然ですが、全国の現存天守、現存櫓で葵の御紋が残るのはここの城だけです。

【歴史】

天正十六年(1586年)に讃岐領主の生駒親正が築城を開始し、天正十八年(1588年)に完成しました。寛永十七年(1640年)、生駒氏四代藩主高俊は家臣の争いの生駒騒動で改易され、寛永十九年(1642年)に松平頼重(水戸光圀の兄)が常陸下館から十二万石で入封しました。以後明治維新まで松平氏が領しました。なお、寛永二十一年(1644年)より城の改修を開始し、寛文十年(1670年)に天守を改築、寛文十一年(1671年)に東の丸などを拡張しています。

現地案内板より
  
  
太鼓櫓跡(建物は艮櫓<現存>)
  
天守台石垣2006年当時
  
月見櫓・続櫓・水手門・渡櫓
天守台石垣
鞘橋と天守台石垣
太鼓櫓跡に艮櫓が移築されている
  
鏡石と石垣   旭門桝形   埋め門
古太鼓御門石垣と艮櫓を内側より
中堀と石垣      桜御門
天守台
鞘橋
内堀と黒櫓石垣     内掘と正面天守台
鉄門石垣(武櫓石垣)<反対側は黒櫓>
鞘橋と天守台石垣
鞘橋と内堀
天守台    内堀
本丸と天守台(内側)石垣
天守台礎石
天守台より内堀・水門方向<左手二の丸・右手三の丸>
鞘橋
渡櫓と時代の違う石垣(右は生駒氏・左は松平氏)
刻紋    北の丸  月見櫓
渡櫓と水手御門を内側から
月見櫓を北の丸側から
簾櫓石垣周辺
続櫓・水手御門・渡櫓
月見櫓
月見櫓
月見櫓の葵の御紋
東の丸北側石垣
東の丸艮櫓台石垣
東の丸石垣(ここの石垣落とし込みでなんか違う気はする^^;)

近くの城・関連の城:

          

旭門と旭橋              艮櫓を内側から
続櫓・水手御門・渡櫓      月見櫓を内側から