肥後/ 熊本城



ファイルNo1691

天下の名城です。 2016年熊本地震で大きな被害があり、復旧には20年以上かかります。

                            

@ くまもとじょう 
  別名 

A住所:熊本市本丸
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・櫓・門・復元天守・石垣・堀
G時代/人物:江戸期/加藤氏・細川氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  市電熊本城前より15分

J撮影・訪問時期:2007年04月

  

道案内 

私は電車で行ったので、車の道順がわかりません。^^;; 熊本駅から市電3号線で熊本城前まで乗り、進行方向左に行くと熊本城です。車の場合は、二の丸駐車場あるいは刑部邸そばの三の丸駐車場に留めることになります。

訪城備忘録

朝の8時過ぎから歩き出して正午過ぎまで歩き回りましたが、それでも不開門・東竹ノ丸の平櫓群のところは、下から見上げるだけでした。竹之丸から見る重なる石垣の先に見える天守の光景は最高です。この日は本丸御殿復元工事の足場外しのクレーンが二基いたので、目障り^^;ではありましたが、それも致し方ありません。竹之丸より本丸に向かって進みました。反りのある高石垣が圧巻です。飯田丸を下から見ると高石垣と復元飯田丸五階櫓もええ感じです^^V 竹之丸より本丸に向かって進みました。反りのある高石垣が圧巻です。 宇土櫓は丸岡城を思わせる古式な感じで、確かに天守級の建物でした。西出丸堀側から宇土櫓を見ると名古屋城の内堀から天守を見るごとくの高さがあります。 戌亥櫓(復元)を見ながら二の丸広場を歩きましと塀越しに見える大小天守と宇土櫓もなかなかです。北側に廻り、平櫓・不明門あたりから見る石垣・天守もなかなかよいです。 なお、熊本城の現存建物は宇土櫓・監物櫓(長岡図書預櫓)・平櫓・五間櫓・北十八間櫓・東十八間櫓・源之進櫓・四間櫓・十四間櫓・七間櫓・田子櫓・長塀・不開門で、大小天守は昭和三十五年(1960年)に外観復元で建てられ、その後、戌亥櫓・未申櫓・数奇屋丸二階御広間・西大手門・南大手門・元太鼓櫓・西櫓御門・飯田丸五階櫓・本丸御殿が復元され、2007年の築城400年祭を挟んで、さらに、三つの五階櫓や北大手門などの復元が予定されているとの事です。

竹の丸から天守
(本丸御殿復元工事のクレーンが目障り^^;)
歴史

文明年間(1469〜87年)に菊池氏の一族の出田氏が茶臼山に築城したのが隈本城でした。天正十五年(1587年)に豊臣秀吉の九州征伐後、越中富山城主であった佐々成政が城主となりましたが、失政により秀吉より切腹させられ、肥後は北半分を加藤清正、南半分を小西行長が領し、清正は隈本城に入りました。関が原の戦い後、肥後一国を領した清正は慶長六年(1601年)に城を大規模に改修し、慶長12年(1607年)に隈本から熊本に改めました。寛永九年(1632年)に加藤忠広が改易され、小倉城より細川忠利が入封し、以後、明治維新まで細川氏の居城でした。明治十年(1877年)の西南戦争の際、谷千城率いる官軍は薩摩軍の攻撃に耐えましたが、天守など多くの建物が焼失しました。

飯田丸五階櫓(復元)           大天守   
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復元天守群
宇土櫓

リンク・関連の城: 熊本城公式ホームページはこちら