備後/ 福山城



ファイルNo1588


           伏見櫓(現存)    

@ ふくやまじょう 
  別名 久松城・夷陽城 

A住所:福山市丸の内1丁目
B目標地点:JR福山駅
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・石垣・現存門・現存櫓
  ・復興天守・復元門・碑・説明板

G時代/人物:江戸期/水野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  福山駅から10分
J撮影・訪問時期:2006年08月・2012年07月
 2016年10月・2017年07月・
2019年07月
・2021年11月・2022年07月・(2022年11月)

  

道案内 

JR福山駅の真ん前です。車では山陽自動車道の福山東インタで下り、福山IC南の信号で国道182号線に入ります。300m先の広尾の信号で右折し県道379号線に入ります。2.5km先奈良津1丁目の信号で左折し国道313号線に入ります。800m先の合同庁舎東の信号で右折し1.2km先が城跡です。
 
訪城備忘録

本丸の内堀内が残っているという感じで、それ以外は市街地になってしまったという感じです。福山駅も三の丸でバスターミナルに掘と石垣がモニュメントのように復元されています。本丸周囲の石垣が残り、伏見櫓と筋鉄御門が現存し、天守、月見櫓、鐘櫓、湯殿などが外観復興・復元されています。天守は戦前まで現存でしたが空襲で焼失しています。復興天守は北面の鉄板張りや最上階の雨戸が無い、窓の形状が違うなど焼失前とは違う部分があります。これの賛否はありますが、福山のシンボルであるには違いないと考えます。 また、三の丸の櫓台石垣が福山駅構内の新幹線高架下に保存されています。福山駅の北口ロータリー東側にも相当にコンクリートで固められていますが物見櫓石垣も残ります。 2019年07月、たまたま福山に泊まることになり、ライトアップの福山城天守を撮りました。三日月と天守でした。

2022年、築城400年にあわせて復興天守のお色直しと江戸期天守にあった北側面の鉄板張りの復元がされました。2022年08月28日より公開でしたが、行ったのが7月であったため、まだ本丸整備(石垣修築など)されていて本丸には入れませんでした。

城址碑
歴史

元和五年(1619年)に安芸の福島正則が改易され、備後福山には水野勝成が大和郡山より移封されました。当初神辺城に入りましたが、幕府に許され、新たに福山城を築城しました。幕府より伏見城の資材も与えられ、それを活用し、元和八年(1622年)に完成しました。元禄十一年(1698年)、五代藩主水野勝岑が急死し水野家は無嗣断絶となりました。その後、元禄十三年(1700年)に松平忠雅が山形から入封しましたが、宝永七年(1710年)に桑名に転封し、阿部正邦が宇都宮より入封しました。阿部氏は九代続き、明治維新まで続きました。

復興天守 手前は御湯殿
復興天守
   復興天守北面(鉄板張り)
往時の姿(現地説明板)
石垣
荒布櫓周辺下石垣
人質櫓台石垣
鐘櫓周辺石垣
鐘櫓周辺石垣
西坂口御門周辺石垣
伏見櫓(現存)
  
裏手(北面)から復興天守<鉄板張りの復元 2022年>
移設 旧天守台礎石(本来の位置から移設し復元)
裏手(北面)から復興天守<鉄板張りの復元 2022年>
筋鉄御門
筋鉄御門(現存)
乾櫓石垣         筋鉄御門
東御門付近石垣
JR福山駅新幹線ホームから
三の丸櫓台石垣  
  
月見櫓   物見櫓石垣
内藤家長屋門   城内の移築建物   福寿会館
ライトアップ
復興天守と三日月
復興天守と三日月
復興天守
伏見櫓 (2021年11月)
伏見櫓
筋鉄御門
復興天守
復興天守
復興天守
復興天守と三日月
2022年11月
2022年11月 プロジェクションマッピング??
2022年11月

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