伊予 / | 今治城 |
ファイルNo1484 |
日本三大水城のひとつ
@ いまばりじょう |
道案内 →駐車場 | |||
今治小松自動車道の今治湯の浦インタを下り、国道196号線に入ります。12km先の片山の信号で右折し国道317号線に入ります。(西瀬戸自動車道の今治インタで下り、国道196号線で1km先が片山の信号で、左折になります。) 2.8km先のドントビの信号で右折し県道38号線に入ります。1.1km先の旭町4丁目の信号で左折します。800m先を左折し、200m先が鉄御門前の駐車場です。 |
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訪城備忘録 | |||
本丸・二の丸の城域とそれを巡る石垣、水堀が残り、模擬天守、復元櫓などが建っています。訪城時は鉄御門(くろがねもん)が復元工事中で、掘り出された石垣が見られました。高虎らしい平城という印象でした。 2008年10月 鉄御門の復元工事が完成後に立ち寄りました。堂々とした枡形櫓門、木造での復元のため、風格もあり、周囲を壊さない復元です。 2014年08月・2015年05月 なぜがよく寄せていただく四国の城跡になってます。^^V |
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藤堂高虎が宇和島より伊予半国二十万三千石を与えられ、今治に慶長七年(1602年)に工事を開始、慶長九年(1604年)に完成させた城です。慶長十四年(1609年)に高虎は伊勢に移封となりましたが、養子の高吉が二万石で残りました。寛永十二年(1635年)に高吉が伊賀名張に移って、伊勢長島より松平(久松)定房が三万石で入封し、松平氏が明治維新まで続きました。今治城は高松城・中津城と合わせ、日本三大水城と言われます。また、今治城の天守は慶長十五年(1610年)に丹波亀山城に移築されました。これは、高虎が幕府より丹波亀山城の普請手伝いを命じられた際に、伊賀上野城に移築予定の天守を丹波亀山城に移築したものです。 |
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