伊予/ 宇和島城



ファイルNo1490

思ってた以上に実物は大きかった現存天守

                         現存天守   

@ うわじまじょう 
  別名 板島丸串城

A住所:宇和島市丸之内1丁目 
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:100m 
E現況:公園・市街地 

F遺構等:郭・現存天守・門・石垣 
G時代/人物:戦国・江戸期
       /西園寺氏・藤堂氏・伊達氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2006年05月

  

【道案内】 

松山自動車道西予宇和インタで下り。県道45号線に入ります。1.6Km先で国道56号線に合流します。24Km先の和霊の信号で国道は右折、800m先、宇和島駅そばを通過した先で国道は大きく左折し、さらに、その先800mの国道56号線中央町の信号を右折した先が移築の桑折氏長屋門があり、そこから登ります。<反対側からは上がり立ち門経由で登れると思います。>
 


【現況・訪城記録】

近世の城で平山城なので、当たり前ではありましたが、本丸までの各郭には石垣が巡り重量感があります。三の丸から井戸丸を経由する登り道は古城という雰囲気で、思ってた以上に郭を巡る石垣が残っているという感じでした。反対側の藤兵衛丸周囲は石垣の高さも一段と高く威圧感を感じます。本丸虎口である櫛形門の石垣の完成度を感じます。こうみると藤堂時代の石垣と伊達時代の石垣が混在しているのでしょうか。天守は自分が想像していたより一段と大きかったという印象です。いままで写真でみる天守は三層ということもあり小さな天守というイメージがありましたが、なかなか堂々としたものでした。長屋門側から廻りまして西側の上り立ち門を見落としてしまいました。 残念です。


【歴史】

天慶四年(941年)に橘遠保がこの地に砦を築いたという伝承はあるようです。その後、嘉禎二年(1236年)に西園寺公経の所領となり、戦国期に入り、天文十五年(1546年)に家藤監物の居城となり、板島丸串城と呼ばれました。天正三年(1575年)に西園寺宣久が居城としますが、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐後は、小早川隆景の所領となり城代が置かれました。天正十五年(1587年)戸田勝隆の所領となって城代が置かれました。文禄四年(1595年)に藤堂高虎が七万石で入城し、慶長元年(1596年)に城を大改修し、現在の天守、石垣・堀を築いたようで、城は宇和島城と呼ばれるようになりました。その後、関が原の戦い後に高虎は今治に移封され、慶長十三年(1608年)には冨田信高が入りましたが、慶長十八年(1613年)に信高は改易となり、1年間の幕府直轄地を経て、慶長十九年(1614年)に伊達政宗の子の伊達秀宗が十万石で入り、伊達氏は明治維新まで続きました。現在の天守は寛文十一年(1671年)に老朽化のため再建されたものです。

  
本丸虎口(櫛形門)
  
藤兵衛丸付近石垣
    
  

近くの城・関連の城:

            

三の丸石垣            井戸丸
二の丸から天守        二の丸下石垣(修復)
現存天守