伊賀/ 伊賀上野城



ファイルNo1120

日本有数の高石垣のある城

                                   模擬天守  

@ いがうえのじょう 
  別名 

A住所:伊賀市上野丸の内 
B目標地点:上野公園 
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・住宅地 

F遺構等:石垣・水堀・模擬天守・石碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/筒井氏・藤堂氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  有料駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2006年06月
            2015年10月

  

【道案内】  ←駐車場の位置

西名阪道の中瀬インタを下りて国道163号線を2.4Km進み国道25号線に合流して1Km先で右折した先が駐車場です。(大阪方面からは上野インタで下り、国道368号−25号線と北に進み2.8Km先で右折し600m先で左折です。)
高石垣のところには国道25号線の上野高校の西側の路地を進むと水堀越に見られますが住宅街のため駐車できません




【訪城備忘録】

なんといっても高石垣と水堀が必見のお城です。何度かこの城は訪れましたが、雨だったり夕方だったりでまともには見てなかったかも^^;。ここまで高いと迫力は充分です。天守は模擬天守ではありますが、本格的木造造りで、模擬というより創建天守という事になるのかも知れませんな。東側は筒井時代の面影を残し、東側の北側堀は空堀のまま、北側領域は自然地形のままという感じで、大坂の陣で豊臣氏が滅んでからは西側への備えが薄らいだため工事が中止された未完の城と言えるようです。



【歴史】

天正十三年(1585年)に大和郡山より筒井定次が伊賀上野に入封し築城したものです。慶長十三年(1608年)に不行状を理由に定次は改易され、伊予今治より藤堂高虎が津に入り、高虎は上野城を徳川氏が大坂城の豊臣氏を警戒するための城として大改修しました。筒井時代の本丸を西に拡張し天守台を新たに西側に造営しました。堀は深く石垣は高く、日本一の高石垣と言われますが、実際は徳川大坂城の方が高いようです。それでも27m(水面から22m)あるようです。天守は完成寸前で嵐で倒壊したため、その後は一度も建てられませんでした。江戸期は一国一城令の特例として存続し、藤堂氏が城代を置き明治維新まで続きました。昭和十年(1935年)に川崎氏の私財によって木造の模擬天守が建てられ、これが現在見る天守です。

  
  
       
  
西側高石垣

近くの城・関連の城:

          

北側            高石垣            西側
模擬天守                    北側高石垣と水堀
北西隅石垣の水面
西側高石垣
北西隅石垣の算木積み
模擬天守と小天守
伊賀市西から天守遠望
   
蛇谷堀                高石垣と内堀
遠望                     城址碑
筒井氏上野城側(城代役所側)
   
筒井時代天守跡碑                     城代役所側桝形虎口
城代役所側石垣
城代屋敷側石垣
北側高石垣
北側高石垣(上から)                      西側高石垣(横から)
崇廣堂(藩校の支校)