越中 / 古国府城
武田屋敷



ファイルNo0067

                            北側の土塁

@ ふるこふじょう 
  別名 

A住所:高岡市伏木国府 
B目標地点:勝興寺 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:  

F遺構等:土塁・説明板 
G時代/人物:戦国期/神保氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2000年03月

  
勝興寺式台門

【道案内】 

高岡古城公園(高岡城)から県道24号線で北上します。江尻の信号で県道8号線をガードで下を通ります。江尻の信号より2.1Km先の米島の信号で直線し、国道415号線と合流します。750m先、城光寺橋で小矢部川を渡り矢田の信号で斜め左折し国道415号線に入り、1。5Km先の伏木古府の信号で右折し、300m先の左手が勝興寺です。ただ、寺に入りには正面に廻る必要があると思います。または、矢田の信号を直進し県道24号を進み、2km先、伏木駅前の信号で左折し、300m先が寺の正面です。




【現況・訪城記録】

お寺の裏手には土塁があり、これが城の痕跡という事になるようです。



【歴史】

古国府城(勝興寺)の周辺は奈良〜平安時代に越中国を統治した国府跡です。越中国府役人(国司)の長官を越中守と言い、歴代国守中でも特に有名なのは大伴家持で5年間余り在任し多くの歌を残しました。城としては神保氏が天正時期に築城したようであり、佐々成政が一向宗を取り込むためこの地を寄進し勝興寺をここに移転しました。<資料より>

  
勝興寺唐門
  
  

近くの城・関連の城: 高岡城 守山城

            

武田屋敷  
勝興寺のある伏木国府より国道415号を海岸沿いに氷見市方面に進み雨晴の地名で富山では親しまれている高岡市大田に武田屋敷があります。

武田家は武田信玄の弟の武田逍遥軒信綱の末裔と伝えられる。建物は安永年間(1772〜1780)から寛政年間((1789〜1800)に伏木勝興寺本堂が建設された際の余材で作られたという伝承をもつ。 <現地案内板より抜粋  高岡教育委員会>
武田屋敷