越中 / 高岡城



ファイルNo0081

加賀藩 二代前田利長の隠居城  廃城後は加賀藩の隠し城とも言える。

                               内堀と向こう本丸    

@ たかおかじょう 
  別名  −−−−−

A住所:高岡市古城
B目標地点:古城公園
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公園・宅地

F遺構等:水堀・土橋・石垣・碑・説明板
G時代/人物: 江戸期/前田利長
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場より5分・万葉線の本丸会館前より5分


J撮影・訪問時期:1999年03月・2011年09月

  

道案内 

高岡駅前より東、県道44号線に向かいます。あるいは国道8号線四屋の信号より国道156号線に入り広小路の交差点で国道156号線は右折ですが、直進し県道44号線を進むと右側に古城公園があります。

訪城記録

現在は古城公園となっていて。主要部の縄張は完存していると言えます。郭内には神社や図書館・市民会館が建っています。城跡は、周囲の土地より微高地で、城内は郭と広大な内堀、外堀の水堀が完存しています。また、本丸と二の丸を結ぶ土橋には石垣が残り、よく見ると刻紋を見る事ができます。

内堀と土橋石垣

現地案内板より
歴史

高岡城は加賀百万石の二代藩主の前田利長(1562〜1614年)の隠居城として、慶長十四年(1609年)に築かれました。(高岡城の築城は、利長の居城であった富山城が火災消失したことによるものです。) 縄張は築城の名手といわれた高山右近の手になるといわれています。築城当時(1609年)にはまだ大坂に豊臣氏が健在であり、関ヶ原の戦い以降、徳川氏は完全な天下統一したとは言えない状況でもありました。父前田利家以来、豊臣氏に仕えてきた利長としては、隠居城とはいえ、万一の場合に備えた実用的な城を早急に完成させる必要性があったかもしれません。関野は広大な庄川扇状地の平野の端にある僅かな台地で、高岡城はその上に築かれた平城です。 高岡城の特徴はその広大な水堀です。高岡城の郭の配置は、前田家の客分となっていた高山右近の独創的なものとなっています。本丸の前後には二の丸と小竹藪を、内堀をはさんで鍛冶丸・明丸・三の丸(民部丸)がいずれも一直線に配置しています。これをみると本丸の南東と南西側には曲輪が配置され、水堀が二重になっており守りは万全です。しかし、北側の堀は一重になっており、本丸がむき出しになっています。これは、城の北側は広大な沼沢地や沼田が広がっており、あまり守りを考えなくてよかったからと思われます。つまり右近は自然の地形をうまく利用しつつ、人工の力で城の防御力を最大限に引き出したといえます。豊臣氏滅亡後の元和元年(1615年)の一国一城令で高岡城は廃城となりました.廃城時には高岡城内の建造物などは破壊され、それ以降の高岡城は高岡町奉行の管理下におかれ、城跡内には数棟の蔵などが建っていたようです。ただ、城郭としての建物は無くなっても、水堀を含む縄張りはそのまま残っていた事は加賀前田氏の万一の時の隠し城と言えます。 <現地案内板・資料より>


1999年当時の写真

  
北の外堀
土橋石垣北側                石垣の刻紋
土橋石垣南側              内堀越しに土橋石垣
  東側内堀                      土塁でしょうか?

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