加賀 / 金沢城



ファイルNo1175

前田氏百万石の居城

                                  石川門櫓     

@ かなざわじょう 
  別名 (金沢御坊)・尾山城 

A住所:金沢市丸の内 
B目標地点:金沢城公園・兼六園 
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・宅地 

F遺構等:郭・石垣・水堀・現存門・復元櫓 
G時代/人物:戦国期/一向衆〜佐久間氏〜前田氏
H満足度:
凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  付近有料駐車場より15分


J撮影・訪問時期:2002年08月・2012年08月 
         2014年07月 2015年5.6月 他
         2017年03月

  

道案内 ←兼六園側駐車場のひとつ ←尾山神社側公営駐車場

北陸高速道金沢西インタを下り (福井方面から来た場合です。富山方面から来た場合は金沢東インタで下りてください。) 5Km先の藤江南の信号で右折し県道17号線に入ります。3.5Km先(JR北陸線ガードをくぐり1Km先)の「むさし」の信号で直進して国道159号線に入ります。800m先の橋場の信号で右折します。500mほど先で道はクランク状態で進みます。200m先が兼六園の信号で、右手が金沢城、前方右手が兼六園です。信号の先左手に市営の有料駐車場があったと思います。
 
訪城備忘録

私の子供の頃の金沢城は大半が金沢大学のキャンパスでありましたが、大学が郊外に移転し、二の丸の橋爪門・五十間長屋・菱櫓が復元され2002年に公開されました。現存としては有名な石川門と三十間長屋が残っています。石垣は前田利家が入城してから改修、拡張されていますので、本丸・東丸の石垣は野面積みの石垣で、土橋門石垣などは切り込みハギの積み方ですが、尾坂門や二の丸北面の石垣は打ち込みハギで積まれた石垣です。こっちのほうが迫力のある石垣です。本丸は元和六年(1620年)に消失し、御三階櫓など本丸の再建はされなかったため、現在そこに行くと森の中を歩いている感じです。

2012年8月再訪
久しぶりに金沢城に寄ってみました。河北門が復元され、復元橋爪門の周囲が復元工事中でした。2002年に復元された菱櫓・五十間櫓などは10年の年月が経ち、真新しさが無くなって落ち着いた感じ見えます。

石川門櫓門
歴史

天文十五年(1546年)に本願寺の北陸の拠点として金沢御坊が創建されました。天正八年(1580年)に金沢御坊は柴田勝家の攻撃で陥落し、佐久間盛政が入り大改修し尾山城としました。天正十一年(1573年)には能登小丸山城より前田利家が入り、以後前田氏の居城なりました。当初は尾山城・金沢城どちらの呼び方もされたようですが、三代利常の時代に金沢城で定着し、この頃に近世金沢城も完成したと考えられます。

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尾坂門石垣(大手門)                 三十間長屋
現地案内板より                    本丸
復元橋爪門・復元五十間櫓・復元菱櫓
玉泉院丸庭園(復元)
金沢城の石垣群
辰巳櫓三段石垣              本丸石垣
百間堀側石垣              戌亥櫓方面石垣
いもり堀石垣
いもり堀石垣
玉泉院丸面石垣(復元工事中)
玉泉院丸石垣
玉泉院丸石垣ー色紙短冊積石垣
薪の丸東側石垣
申酉櫓下石垣
  極楽橋石垣               極楽橋石垣と三十間櫓
本丸北面(新埋門付近)石垣             鉄門石垣    
二の丸の新丸側面石垣
新丸から河北門・菱櫓遠望               尾坂門枡形石垣  
大手堀と石垣
二の丸北面石垣              極楽橋そば石垣
裏手門石垣              土橋門石垣
数奇屋敷石垣
刻紋
刻紋
百間堀の石垣刻紋
百間堀の石垣刻紋
本丸南西石垣
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