信濃/ 飯田城



ファイルNo0332


                            赤門

@ いいだじょう 
  別名 長姫城(おさひめ)

A住所: 飯田市追手町2丁目 
B目標地点:飯田美術館・長姫神社
C形式:丘城  D比高:50m 
E現況:神社・公共施設

F遺構等:堀切・土塁・石垣・門・移築門
G時代/人物: 鎌倉期/坂西氏
H満足度: 凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:
2001年05月・2017年03月

  

道案内   

中央道飯田ICを降り、国道151号線を松本方面へ進み、上殿岡の信号で左折し飯田市街地に向かいます。松川を渡り羽場のT字信号で右折し国道153号線を進みます。段丘を登り、市役所前を通過し2本目を右折し飯田美術博物館に向かいます。手前の市立図書館に赤門が残り、図書館の前の道を下って行くと水の手門の石垣があり、長姫神社が本丸です。また、飯田市松尾久井2595で、龍門寺の南側の民家に移築門があります。
 
訪城備忘録
長姫神社

段丘上に郭が直線的(連郭)に配置されていますが、遺構としては美術館(二の丸)と長姫神社(本丸)の間の堀切、図書館(桜丸)に残る赤門、図書館の前の道を下って行くと水の手門の石垣があります。ここの石垣の石は大きく江戸期の石垣と言う感じです。美術館前には、発掘された水路・井戸などが整備されています。また、長姫神社の裏手の土塁と石積みは遺構のようです。さらに、飯田市松尾久井には二の丸門(八間門)が個人宅に移築されています。この門、非常にりっぱな門で、個人宅にある門としてはこんな大きいのは見たことがありません。門の両サイドの長屋も飯田城からの移築です。家人の方がおいでになり、門の二階部分に登らせていただきました。修復・修理がなされていないため、相当に痛んでいますが威風堂々としています。いつまでも健在であることを祈りたいです。

水路
歴史

鎌倉期(建保年間(1212〜1218年)頃)に坂西氏(ばんざい)によって築かれた考えられています。坂西氏は地頭職で上飯田から飯坂城、そして飯田城と居館を移しました。戦国期は武田氏の伊那地方の中核の城となり、秋山信友らが在城し、織田氏の信州侵攻後、徳川氏の支配化で下條頼安、菅沼定利が城主となり、家康関東移封後は毛利秀頼、京極高知が城主となりました。この頃に城は大改修されたようです。関が原以降は、小笠原秀政が城主となり(古河より五万石にて、その後松本に転封)、つづいて、脇坂氏が入り、寛永十二年(1672年)脇坂氏が龍野に転封の後、堀氏が入り明治まで続きます。

二の丸門(移築)
  
赤門
赤門
主郭と二の丸の間の堀切         神社本殿裏手の土塁・石垣
水の手門石垣
水の手門石垣        反対側の石垣
二の丸門<八間門>(移築)
二の丸門<八間門>
長屋側から  二の丸門<八間門>   門内より
二の丸門<八間門>内部
二の丸門<八間門>

近くの城・関連の城:大島城 知久平城 松尾城 鈴岡城