信濃/ 大島城



ファイルNo0341

二重三日月堀・馬出しが見事に残る

                            三日月堀

@ おおしまじょう 
  別名  台城・大蛇ケ城

A住所: 下伊那郡松川町元大島古町南部 
B目標地点:台城公園
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・畑地・山林

F遺構等:郭・堀切・馬出・三日月堀・土塁
    ・井戸・碑・説明板

G時代/人物: 戦国期/片桐氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分
J撮影・訪問時期:2000年08月・2005年03月
             2017年03月

  

道案内   

飯田市内から国道153号線を松本方面へ進みます。高森町の山吹の信号を過ぎ、松川町地内に入り800m先で右に入り古町中部集会所を過ぎ東南の方向へ台城公園へ向かいます。(山吹の信号を右折し県道226号線を進み、600m先で左方向へ台城橋に向かう道もありそうです) (松川インターから来た場合はインターを下り県道59号線を進み、上新井の信号で右折し国道153号線を進みます。信号より1.6kmで台城公園の案内板があり、そこを左折し進みます。

 
訪城備忘録
主郭下堀切

台城公園駐車場に入るところで大きな三日月堀が出迎えてくれます。この三日月堀は圧巻です。大きさ、深さもあり二重の空堀になっています。三日月堀背後の馬出しは民家になっていてやや不明瞭です。ここより馬出しと二の郭、三の郭と主郭、二の郭と主郭の各間には空堀が巡ります。主郭の二の郭の間の堀(堀切)を降りていくと井戸に至ります。大きな井戸跡でここには落城し姫が身を投げたという言い伝えが残っています。 主郭は背後を天竜川が流れ全体として堅固な城であることを実感しました。若干の配置は違いますが、長篠城にも似た縄張りを感じます。

【金鶏伝説】
この城の井戸は周囲を土塁が巡り外側からは井戸が絶対見えないようにしています。大島城は天正十年の織田氏の侵攻で落城しましたが、落城し姫が黄金の鶏を抱いてこの井戸に身を投げました。元旦の早朝に井戸の底からにわとりの鳴き声がかすかに聞こえるとも言われています。 <現地案内板より> 

空堀
歴史

伊那谷に栄えた南信濃源氏の片桐(片切)氏、平安末期に為行の八男の宗綱が大島郷に入り、大島八郎宗綱と名乗り、大島城を築きました。天文二十三年(1554年)武田晴信(信玄)が侵攻し、大島城を攻め取り、大島氏は武田氏に属しました。大島城は元亀二年(1571年)に武田氏家臣秋山信友によって大改修されました。 天正十年(1582年)織田氏の侵攻時に落城しました。

三日月堀
現地説明板より
現地案内板より
馬出し前の堀          三の郭前の堀
馬出し
馬出し全景を遠望
馬出し背後の堀
二の郭前の堀
向こう・馬出し背後の堀、手前・二の郭下の堀
二の郭馬出しから三の郭虎口方向        二の郭馬出し        
二の郭と主郭の間の堀切
   主郭               主郭土塁
主郭からの眺望
井戸
井戸を囲む土塁            井戸の石積み
   
主郭南西下
主郭南西下
   
三の郭と二の郭の間の堀
三の郭と二の郭の間の堀
二重三日月堀
  
主郭から見る天竜川

近くの城・関連の城:舟山城名子城