信濃/ 伊那・松尾城



ファイルNo333


                            二郭手前堀切

@ まつおじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 飯田市松尾代田 
B目標地点:松尾公園
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・畑地・山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 室町期〜/小笠原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場より5分

J撮影・訪問時期:2000年10月 2003年04月
             2017年03月

  

道案内 

中央高速飯田インターを降り、料金所を越え右折、国道153号線を松本方面に進みます。約3Km先の名古熊東の信号を右折し、突き当たりを左折し、1本目すぐをまた右折します。途中、M電機の飯田工場の裏手を走り、約1.2Km先の松尾公園一帯が城跡です。谷を隔てて反対側は鈴岡城になります。

 
訪城備忘録

公園として整備され、外郭は田畑、民家となり城跡の感じはしにくいでですが、よく見ると、主要部東側のりんご園は広大な堀であり、特に二郭の手前の堀切と主郭を巡る堀はよく残存します。春は桜が大変綺麗です。

主郭・城址碑
歴史

(元々、小笠原氏は松尾に館を構え、貞宗が井川城を築いて移っています)
松尾小笠原氏の本城です。信濃守護の深志小笠原氏より室町中期に分家、さらに、松尾小笠原氏より鈴岡小笠原氏が分家、小笠原氏は3家に分裂しました。明応二年(1492年)に松尾の小笠原定基は鈴岡の小笠原政秀を討ちますと、深志の小笠原長棟は定基を追いますが、定基の孫の信貴は武田氏の先鋒として松尾城に返り咲き、武田氏滅亡後は徳川氏に従います。天正十八年(1590年)、信貴の子の信嶺は、家康の関東移封の際、上州本庄(一万石)に移り、松尾城は廃城となりました。 <資料より>  松尾小笠原氏は本庄から古河、関宿、美濃高須と移封され、元禄四年(1691年)、越前勝山二万二千石で移封され、小笠原貞信が初代藩主となり、明治維新まで八代続きました。


二郭手前堀切
二郭手前堀切
現地案内板より
主郭北側堀と帯郭
  
堀切      二郭      堀切
主郭前堀
  
松尾城遠景(鈴岡城出丸より)
松尾城サカヤシキ遠望(鈴岡城出丸より)

近くの城・関連の城:鈴岡城 小笠原書院 飯田城 久米ケ城