信濃/ | 伊那・松尾城 |
ファイルNo333 |
@ まつおじょう |
道案内 | |||
中央高速飯田インターを降り、料金所を越え右折、国道153号線を松本方面に進みます。約3Km先の名古熊東の信号を右折し、突き当たりを左折し、1本目すぐをまた右折します。途中、M電機の飯田工場の裏手を走り、約1.2Km先の松尾公園一帯が城跡です。谷を隔てて反対側は鈴岡城になります。 |
|||
訪城備忘録 | |||
公園として整備され、外郭は田畑、民家となり城跡の感じはしにくいでですが、よく見ると、主要部東側のりんご園は広大な堀であり、特に二郭の手前の堀切と主郭を巡る堀はよく残存します。春は桜が大変綺麗です。 |
|||
|
(元々、小笠原氏は松尾に館を構え、貞宗が井川城を築いて移っています) 松尾小笠原氏の本城です。信濃守護の深志小笠原氏より室町中期に分家、さらに、松尾小笠原氏より鈴岡小笠原氏が分家、小笠原氏は3家に分裂しました。明応二年(1492年)に松尾の小笠原定基は鈴岡の小笠原政秀を討ちますと、深志の小笠原長棟は定基を追いますが、定基の孫の信貴は武田氏の先鋒として松尾城に返り咲き、武田氏滅亡後は徳川氏に従います。天正十八年(1590年)、信貴の子の信嶺は、家康の関東移封の際、上州本庄(一万石)に移り、松尾城は廃城となりました。 <資料より> 松尾小笠原氏は本庄から古河、関宿、美濃高須と移封され、元禄四年(1691年)、越前勝山二万二千石で移封され、小笠原貞信が初代藩主となり、明治維新まで八代続きました。 |