尾張の城032  

                                                                               

大津城  1238

武田信玄甲斐守の碑
A瀬戸市今林町〜大坂町
B
愛知環状鉄道山口駅の西側、国道155号線と平行に走る県道209号線で県道22号線の交差点の石田町から県道209号戦線を北に行きます。愛知環状鉄道を越えたところの今林町の信号を右折し220m先の路地を北へ200mほど行った児童公園に石碑があるそうです。石碑がありますと書いていますが、私はここに到達できませんでした。今林町・大坂町をウロウロしてましたら、「武田信玄甲斐守」の石碑がありました。どういう事なんでしょ?

C平城
F遺構等:(石碑・説明碑) 
G戦国期/大津氏 
H満足度:凸

大津八郎右衛門重俊は弘治元年(1555)に近江よりこの地に赴き大津城を築きました。大津氏は、近江佐々木氏の一族で駒井氏の流れであるとの事です。天正年間に廃城となったと伝えられます。

J訪城:2006/01
  
山口城  1239
本泉寺山門

A瀬戸市矢形町
B本泉寺
国道155号線の山口町の信号を西に行きます。300m先を右折した先が本泉寺です。遺構はありませんが、周囲を山に囲まれ、南側のみが開けた自然の土塁に囲まれたようなところです。

C平城
F遺構等:なし
G鎌倉期/山田氏 
H満足度:凸
菱野城の山田泰親が地頭職を子の重元に譲り隠居し、築いた館跡と伝わります。

J訪城:2006/01
   
阿弥陀ケ峰城  1241 
全宝寺
A瀬戸市品野町1丁目
B全宝寺
東海環状自動車道のせと品野インタを下り、上品野町の信号で左折し国道363号線に入ります。1.2km先の品野交番前の信号で右折し国道248号線に入ります。1km先で斜め右の県道210号線に入り、300m先の左手が全宝寺です。遺構らしきものはないです。

C平城
F遺構等:なし 
G戦国期/長江氏 
H満足度:凸
文明十四年(1482年)に応仁の乱の後の争いで、細川方で桑下城の長江利景と山名方で今村城の松原広長が対立し、長江氏方は阿弥陀ケ峰城を築いて、今村氏方に勝利したと伝わります。永禄元年(1558年)には信長の家臣の竹村長方の品野城攻めにも利用したとされます。

J訪城:2006/01
  
水野陣屋  1856 
石碑
A瀬戸市小田妻町2丁目   
B水野小学校
国道155号線の中水野の信号から県道210号線に入り東に進みます。1km先の右手の水野小学校が城跡です。

C平城
F遺構等:石碑 
G江戸期/水野氏 
H満足度:凸
尾張藩の代官所として天明元年(1781年)に陣屋が設けられました。初代の代官には、当地随一の名門水野氏の嫡流で、すでに御林方奉行職だった水野正恭が兼任しました。春日井郡と愛知郡の一部109ケ村を治めました。

J訪城:2008/04