西三河の城015

                                                                               

芦ノ入城  0258
虎口部分
② 豊田市(足助町)上八木町  ④山城
豊田市内から国道153号線で足助町へ 飯盛山(城)を右手に見ながら足助町中心地を通過、国道153号線が左折し足助川を渡る信号(今朝平の信号)をそのまま直進し、県道33号線に入ります。<a地点>4kmほど行ったところで道が右カーブすると荻野小学校があり、小学校を過ぎたところで左折し県道366号線に入ります。<b地点> 県道で千田地区まで行きます(3Km程度)と右折する道が有ります。(五反田・上八木という標識がでています。)右折して<c地点>500m程度でまた右折し登る道があります。(上八木の標識があります。)<d地点> そこより600m程度で道沿い右に「宗源禅寺」の石碑があります。この手前300m右手に沢があり、そこを奥に行くと細い上り道があります。ここを登ると城跡です。私は石碑よりまた先の道路沿いの尾根先端より直登しました。比高は100m弱ですのでそれほどきついと言うわけではないです。城跡は山頂部で5mほど高くなった平坦地を真ん中に浅い堀切で分断しているだけの簡単な縄張りです。見張り・繋ぎの城だったんでしょうね。

⑦遺構等:郭・堀切  ⑧戦国期/--氏  ⑨満足度:凸

詳細不明

⑫ 千ノ田城 坂城

⑪訪城:2004/07
九久平城  0232
郭?
② 豊田市九久平町 ③九久平小学校  ④丘城
豊田市中心部国道155号線と国道153号線合流交差点の「神田1」その先の国道153号線・国道248号線及び国道301号線の合流交差点の「元城町2」より国道301号線で松平郷(豊田市)・下山村方面に進みます。(または、東海環状高速道の豊田松平インタを下りると国道301号線です。)国道301号線は松平橋を渡り右折、巴川沿いの九久平町の信号を直進して県道39号線を進みます。300m先を右折し、尾根先端の台地が九久平小学校でこの周辺が陣屋跡です。明瞭な遺構はありませんが小学校の西側斜面は高い切岸になっていて、また、グランドの下に現在畑となっているところも郭の跡のようにみえます。

⑦遺構等:郭?  ⑧江戸期/鈴木氏  ⑨満足度:凸  史料には戦国期に鈴木氏の城があったとされるようです。江戸期に入り寛永十二年(1636年)に鈴木政次が500石でこの地を領して陣屋を構え明治まで続きました。

【九久平鈴木氏】
鈴木氏の始祖は善阿弥重善で、10代目重時は八並から酒呑に移ったとされます。重時の孫の重信の子は、重政が則定に住し、信光は酒呑に留まり、康政が九久平に住したとされます。九久平鈴木氏は康政ー政重ー政次となります。

⑫:酒呑陣屋 則定陣屋

⑪訪城:2004/07
市木城  0946
昌光寺入口

土塁?
② 豊田市市木町 ③昌光寺 ④平山城
豊田市中心部国道155号線と国道153号線合流交差点の「神田1」その先の国道153号線・国道248号線及び国道301号線の合流交差点の「元城町2」より国道153号線にて北上、久保町の信号で右折し県道343号線にはいります。高橋で矢作川を越え、1.2Km先の高橋町で左折し県道340号線に入ります。1.3Km先で市木川を渡り、右折し川沿いを100mほど行ったところに昌光寺があります。川沿いの微高地に寺はあります。寺の裏手に土塁のような盛り上がりがありますが遺構はどうかはわかりません。

⑦遺構等:土塁?  ⑧戦国期/鈴木氏  ⑨満足度:凸

文治年間(1185~1189年)に鈴木氏の始祖善阿弥重善の子の重基が築城したとも伝わりますが定かではないようです。永禄年間(1558~1570年)には鈴木総領家の鈴木重親が居住したとされます。

⑫:酒呑城 矢並上城 寺部城

⑪訪城:2004/07