西三河/ 千ノ田城



ファイルNo0250

小型ながら明瞭な横堀・堀切・土塁を残す

              主郭下横堀を区切る土塁と向こうに主郭切岸

@ ちのだじょう 
  別名  −−−−−

A住所:豊田市上八木町
     旧:東加茂郡足助町上八木
 
B目標地点:     
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:山林

F遺構等:横堀・堀切・土塁
G時代/人物: 戦国期/−−氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2004年10月

  
横堀

【道案内】 

豊田市内から国道153号線で旧足助町へ 飯盛山(城)を右手に見ながら足助町中心地を通過、国道153号線が左折し足助川を渡る信号(今朝平の信号)をそのまま直進し、県道33号線に入ります。<a地点>4kmほど行ったところで道が右カーブすると荻野小学校があり、小学校を過ぎたところで左折し県道366号線に入ります。<b地点> 県道で千田地区まで行きます(3Km程度)と右折する道が有ります。(五反田・上八木という標識がでています。)右折して<c地点>500m程度でまた右折し登る道があります。(上八木の標識があります。)<d地点> そこより600m程度で道沿い右に「宗源禅寺」の石碑があります<e地点> 道に右折し宗源寺までいきます。 宗源寺の南側、谷を挟んだ反対側の尾根に城跡は有ります。



【現況・訪城記録】

谷は畑地になっていたようで、寺から道が続いております。谷から城跡のある尾根への道を進みますと尾根で切通しのようになっており、昔は堀切であったようです。この切通しの真ん中で尾根に向かって登ります。一応登る道であったようで木の杭が2本建っています。しかしながら、最初の5mぐらいまでは藪状態です。藪を抜けると下草も無くなります。城は切通しから30mほど登った尾根にありました。主郭手前で横堀にぶつかります。横堀は右手(南側から)から主郭を巡り左手真ん中(西側を巡って北側の真ん中くらいまで)くらいまで続いています。その先は土塁が遮り行き止まりです。横堀を区切るように土塁があります。(この土塁はちょっと見た目は土橋に見えます) この横堀は北側にある大手の登り口からの通路なのでしょう。その土塁の向こう側は切岸になっており堀底よりさらに低いところに腰郭的空間があります。主郭の東側・尾根側には明瞭な堀切があります。


【歴史】

城の築城時期・築城者は不明です。昔は信州伊那谷へ通する最短の街道が城の南側を通っていたようです。これを監視するための城でしょうか。横堀を通路に使用する技法は徳川氏の城に多いとの事で、この城も徳川氏関連の城かもしれません。 (資料より)

  
堀切
  
  

近くの城・関連の城:芦ノ入城・坂城

          

寺より城跡遠望(左手城山)