西三河/ 豊田城山



ファイルNo0237

岡崎を守るため、大給城と連携し武田氏の侵攻に備えた松平氏(徳川氏)の重要拠点

           東の城・馬出郭石垣

@ しろやまじょう 
  別名  大田城(だいたしろ)

A住所: 豊田市大内町城山〜豊松町大田 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:70m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・横堀・土塁・石垣
G時代/人物: 室町〜戦国期/松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2003年09月

  

道案内  

豊田市中心部国道155号線と国道153号線合流交差点の「神田1」その先の国道153号線・国道248号線及び国道301号線の合流交差点の「元城町2」より国道301号線で松平郷(豊田市)・下山村方面に進みます。国道301号線は松平橋を渡り右折、巴川沿いの九久平町の信号で左折となります。そこから2Km先の右側に大給城の石碑を通過し、さらに先の滝川橋のところで県道360号線へ左折します。約2km先右手が公園駐車場でその正面より登ります。

訪城備忘録

この城は東西の尾根に郭を広げる馬蹄形の城です。馬蹄形の城というのは時代的には古い形態と言えるとの事です。(豊田周辺では広見城・足助城山城などがあります) この城は道はついていますが、大給城のように整備はされていないため、遺構が草木に埋もれているのが残念です。公園駐車場より登りだしますと、まずは巨石の空間を抜けます。ここを抜けると道の左側段上に郭を確認できます。この辺は西側の郭で東の郭に比べ古い時代らしいです。それでもよく見ると石垣の痕跡が確認できます。後の改修の跡でしょうか。大きな堀切を抜けて右手の外桝形虎口から南側に登ると主郭です。主郭の西側に堅土塁を伴う竪堀があります。主郭内は雑木林ですが堀・土塁状の箇所があります。主郭を抜けると東の郭の一番石垣が残る郭に至ります。ここは馬出郭との事です。その先は大きな堀切を土橋で越え、先の郭に行くと先端に横堀が巡る郭に至ります。この東の郭群が大手筋のようです。

東の城・堀切土橋
歴史

この城は大田道灌が築城したという伝承があります。いくらなんでもそれはないでしょう。松平宗家三代信光の八男の光親が初代城主で後に能見に移り能見松平氏の始祖となります。その後は大給松平氏の支城となり、大給城とともに宗家支配下に入った以後は武田氏侵攻に備える城として改修され、さらに、小牧・長久手の戦い時期にも改修されたものと考えられるとの事です。 (資料より)

西の城・堀切    東の城・横堀
主郭下の帯郭    主郭隅の竪堀
  

近くの城・関連の城:大給城梟ケ城松平城岩倉城ケ浦城・古瀬間城