道案内  |
豊田市中心部国道155号線と国道153号線合流交差点の神田1の信号、その先の国道153号線・国道248号線及び国道301号線の合流交差点の元城町2の信号より、国道301号線で松平郷(豊田市)・旧:下山方面に進みます。国道301号線は松平橋を渡り右折、巴川沿いの九久平町の信号で左折となります。そこから2Km弱の地点で右側に大給城の石碑があります。そこの道へ右折し、山を登ります。登りから下りにかかる付近の右側に大給城の登城口の標識があります。駐車場がありませんので、その付近の路肩に路上駐車するしかありません。登城口より歩き出し尾根にでますと、右手方向は松平乗元の墓、左手に進むと大給城の入口に至ります。入口200m手前に数台の車が停められる駐車場ができています。
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訪城備忘録 |
城域最初の堀切
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三河でお勧めのお城です。三河では少ない石垣を多用した城ですし、なにより、各郭の配置、土塁・石垣の造形は美しさを感じます。本丸周辺の石垣・土塁も見所ですが、登ってきた最初に見る堀切と虎口石垣もいいし、なんと言っても水の手郭の遺構は貯水機能と防御機能を持っていたためのなんともいえないうねりを見せていて、美しささえある土の景観です。大給城は三河全体の覇者の城ではありませんが、周囲の城に比べると規模も大きく、単なる松平氏一族の城ではないですね。武田氏侵攻の防御ラインとしての大要塞という感じですし、小牧長久手の戦いのときにも改修されているのかもしれません。主郭の西の岩場から豊田の花火大会の花火が遠望できます。夏の夜にがんばって来て見るのも一興ですし、春は桜、秋は紅葉と季節も楽しませてくれます。
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現地案内板より
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初期大給城は長坂新左衛門の居城でしたが、岩津城に進出した松平信光が攻略し、親忠の次男乗元が初代城主となり大給松平氏となります。四代親乗の時に周辺へ勢力拡大を図り滝脇松平氏の滝脇城、松平氏の発祥地松平郷も手中にし、宗家に対立しました。五代真乗は逆に宗家家康に忠節を尽くしました。この頃、武田氏侵攻の脅威に備え本丸周辺は総石垣の大改修がなされ、大給松平氏の城と言うより宗家家康の拠点となっていきました。六代家乗の時に家康の関東移封に従い上州に移り、大給城は廃城となりました (資料より)
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