伊勢 / | 長野城 |
ファイルNo0037 |
長野氏(工藤氏)の本城。簡素な詰め城が残る。眺望は最高。
@ ながのじょう |
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【道案内】 国道163号線で津方面から来ると北長野地区で旧長野小跡公園を300m過ぎた先の信号(長野小が右手に見える信号)で左折します。道はU字カーブで坂を登ると集落内に入ります。信号より300m付近の集落内道路沿いに「長野城」の説明板がフェンスにつけてあります。そこから集落を抜けてT字を右手に進むと瀬戸川の橋に到達します。そばに集会所がありこの向かいの空き地に「長野城へのイラスト案内板」があります。そこより(長野城まで4.6Kmの案内標柱あります)瀬戸川沿いの林道を登ります。小さな橋を二つ越えた先、城跡まで2.4km地点で右に分岐した道があります。分岐点に「長野城まで2.4km」の案内標柱があります。ここよりRV車なら登れますが乗用車では無理であり、徒歩で登ります。徒歩で45分程度の所要時間です。≪ あるいは、国道163号線より2Kmほど入った集落内の最初の説明板のあるところよりそれより少し行くと右折しすると林道から登れる道があります。500mほど行くと林道入口となりますが、RV車ならまだ1Kmほど入れると思います。林道終点からは沢伝いに登り、尾根に出てさらに20分ほど歩きます。目指すは2本の高圧線鉄塔です。沢の入口、沢の途中、沢から尾根に登る登り口などに案内標柱があります(朽ちて地面に落ちている案内板もありましたが・・)ので、迷わないでは行けると思います。≫ 私は2通りで登って見ましたが前記のコースの方が楽ではと思います。 2014年9月、林道は通行止めになってました。 【訪城備忘録】 けわしい山の山頂にどちらかと言えば簡単な縄張りが残ります。主郭西側に低い土塁さらにその西側には段郭・主郭北側には空堀など残ります。主郭からの眺望はすばらしいものがあります。 【歴史】 工藤祐政をこの地に入り長野氏を名乗り、その子の祐藤によって文永十一年(1274年)に築城されたと伝わります。その後、長野氏の本拠として続きますが、南北朝期の貞和二年<南朝元号>(1346年)に南朝方の北畠氏に攻められ落城しますが、文和元年(1352年)に返り咲きます。永禄元年(1558年)には長年の抗争相手の北畠氏と和解し北畠具教の子の具藤が長野氏の養子となりこれを継ぎました。永禄十二年(1569年)には織田方についた分家の細野氏に攻められ、長野氏は信長の弟の信包(長野信良と名乗り)を後継者としました。 長野氏の分家:二代祐藤の子の祐高が雲林院氏、同じく祐宗が細野氏、四代藤房の子の祐歳が家所氏、五代豊藤の子の祐成は分部氏の養子に さらに、草生氏も分家です。 |
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