紀伊 岩室城



ファイルNo3980


             西尾根にある堀切               

@ いわむろじょう 
  別名 岩村城・岩室山城 

A住所:有田氏宮原町東
B目標地点:岩室山
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物:室町期/畠山氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から比高20m・8分

J撮影・訪問時期:2023年10月

  

道案内    ←尾根駐車場   ←麓の集落内城跡案内標識

阪和自動車道の有田インタ(紀勢本線藤並駅近く)で下り、土生の信号を右折し県道22号線に入ります。約2.2km先(高架ロータリを廻って)明王子南の信号を左折し国道42号線に入ります。約2.8km先、有田東大橋南詰の信号を右折し、有田東大橋で有田川を渡ります。橋を渡り約200m先が須谷の信号です。ここを直進します。約300m先で集落内の十字路でここも直進しますが角に「岩室城」の標識があります。約300m先が福勝寺横です。ここから道なりに岩室山山頂近くまでみかん畑用の作業道のつづら道を登ります。要所要所に城跡案内標識がありますので迷うことはないとは思いますが、乗用車幅の道ですので注進してください。尾根の駐車場の手前にフェンスがあり、これを開けて進みます。フェンスゲートから約300mほどで駐車場です。ここからまたフェンスゲートを開けて登っていくと城跡です。
 
訪城備忘録

駐車場からみかん畑用のレール沿いに登っていきます。説明板からすると、主要部は一の郭・本丸(主郭)、二の郭と並び、二の郭が一番高いところになります。二の郭にはU字に土塁が巡り、「徳本上人供養塔」が建っています。普通、二の郭が主郭なんだろうけど。二の郭の東下に旧みかん畑が東郭のようで、ここに石碑の城址碑があるようですが見落としました。^^; 一の郭の西下、不完全ですが堀切のようです。そこから南斜面を見ると竪堀状に落ちてます。西尾根を進むと西郭の先に明瞭な堀切があります。後世の道で半分つぶれている感じですが段差など明瞭です。堀切の先、西尾根の先端からも眺望がいいです。ここの下に徳本上人練行の場所があるようですが行きませんでした。

城の規模としては小規模だと思います。畠山氏の大野城鳥屋城広城を繋ぐ城であった感じです。

尾根の駐車場
歴史

伝承では、平安期に宮原氏が築いたとされるようです。さらに、屋島の戦い(寿永四年/1185年)の後、源氏に敗れた平氏の平忠房が湯浅宗重に庇護され、この城(岩村城)に籠城したとされます。3ケ月籠城しましたが、源氏に降伏、忠房は斬首になったとされます。室町期に入り、応永七年(1400年)、畠山基国が紀伊の守護となり、弟の満国が正長年間(1428〜29年)mあるいは、文安に年(1445年)にこの城を修築(築城)したとされるようです。天正十三年(1585年)、畠山貞政(定政)は羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めの際に秀吉軍に攻められ落城したとされます。

主郭(本丸)から二の郭を見る      二の郭の土塁      
現地説明板より
眺望
麓から城跡遠望
集落内の標識       登城道途中からの眺望
  
一の郭から主要部を見る     一の郭      
本丸(主郭)
主郭と一段上の二の郭
二の郭
二の郭
二の郭から本丸(主郭)
一の郭西下堀切状
一の郭西下堀切状
一の郭西下堀切状から竪堀状
南側の眺望
西尾根の郭      西尾根から堀切
西尾根堀切
西尾根堀切
西尾根堀切
西端展望台からの眺望

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