紀伊/ 湯浅城



ファイルNo3101


                 主郭西下の土橋土塁

@ ゆあさじょう 
  別名 

A住所:有田郡湯浅町青木
B目標地点:湯浅温泉湯浅城
C形式:山城  D比高:70m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/湯浅氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  温泉施設から20分

J撮影・訪問時期:2016年04月

  
道案内 ←登り口

和歌山市方面から来た場合は国道42号線の湯浅の信号で左折し、約800m先で橋を渡り、渡ってすぐを右折し左カーブで100m先のY字を左手の坂を上がれば温泉施設の湯浅城で、右折し50m先の川の所で左折し川沿いを100mほど走った左手に城跡登り口があります。 登り口から少し登ると道には扉が付いていて連絡先が書いてあります。城跡見学には連絡先に連絡し、鍵を開けてもらって入ります。 

訪城備忘録

城跡は登り口から最初の尾根まで登り、さらに登ると二の郭に至ります。二の郭の南側から東側に行くと東の郭との間に片堀切と土橋があります。 この土橋状の高まりは主郭下まで繋がり、土橋であるとともに北側からの視界を防ぐ遮断土塁になってます。同様に主郭の西下も土橋が遮蔽土塁になり場内を外から見えないようにしているようです。その西側は櫓台のような高まりがあり、さらに尾根西側端に郭があります。小型ながらまとまった感じの城跡です。

二の郭の城址碑
歴史

康治二年(1143年)、湯浅宗重が築城したとされます。南北朝期、湯浅氏は南朝についてため、康暦元年(1379年)、北朝の守護山名氏の攻撃を受けて落城し、湯浅氏は離散したようです。その後、文治四年(1447年)に後南朝勢力が湯浅城を拠点としましたが守護の畠山氏に攻められ落城したようです。その後この城の廃城等は不明のようです。

東の郭への土橋           主郭の西下、櫓台の東下の竪堀
現地案内板より
城跡からの眺望
  
登り口          城跡遠望
南尾根端の郭          南の郭 
二の郭            二の郭東側
東の郭の土橋と堀切
東の土橋からつながる土塁と先は主郭            主郭     
主郭にある湯浅宗重の碑           主郭西下
西の郭                武者隠しと称される堀状
遮蔽土塁土橋/右上主郭           土塁の切れ目
温泉施設
温泉施設と城跡を遠望

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