陸奥・陸前 白石城



ファイルNo4190


             三階櫓(天守)<木造復元>           

@ しろいしじょう 
  別名 益岡城・桝岡城 

A住所:白石市益岡町
B目標地点:白石益岡公園・白石市役所
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・公共施設・宅地

F遺構等:郭・石垣・土塁・復元櫓(天守)
    ・復元門・移築門・碑・説明板

G時代/人物:戦国期・江戸期/蒲生氏・片倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道の白石インタを下り、国道4号線(白石バイパス)で白石市中心部に向かいます。約6km先の信号で左折します。約800m先の信号を左折し約200m先の白石市役所前の信号で左折、約50m先のT字を右折し約100m先(市役所を越えたところ)左手が駐車場です。なお、駐車場はその他にもあります。

訪城備忘録

城跡は本丸周辺のみが残っているという感じです。平成七年(1995年)に三階櫓(天守)、大手門が木造復元されてます。明治の廃城後、建物だけでなく石垣も売却されてしまったため、石垣も大半が復元のようです。三階櫓(天守)を復元される際に、発掘調査に基づいて綿密に野面積みで石垣を積まれたとの事です。その後も、福島沖地震や東日本大震災などで被害を受けながら修復されていっているとの事です。二の丸下の残存石垣は現存ではあるようですが、下部が残っているだけの状態です。裏御門、未申櫓台、辰巳櫓台の土塁は現存のようです。

【雑】
木造での復元で、天守、及び、天守相当の城は、全国では、大洲城天守新発田城三階櫓掛川城天守白河小峰城三重櫓、及び、白石城三階櫓(大櫓・天守)の5つです。(2025年4月現在)  私の片倉小十郎のイメージですが、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗 主演:渡辺謙さん」で片倉小十郎役で出演されていた西郷輝彦さんを思い出してしまいます。(笑) 

仙台城を後にした後、なにをとち狂ったか仙台市泉区の根白石城に行ってしまい、時間ロスをしてしまいました。その上、天候が悪くなってきて、日没も近づいており、この後、どうしても巨大な中世の城跡が見たくて白石城は駆け足での訪城になってしまいました。東北の城の中で一度見ておきたいと思っていた城のわりに中途半端な訪城をしてしまいました。

歴史
城址碑















築城時期は定かではないようです。寛治年間(1087〜94年)に刈田経元が居城としたとされ、この頃の築城が考えられるようです。文治五年(1189年)、五代刈田秀長は源頼朝に従い、名も白石氏と改名したようです。天正十四年、白石宗実は従っていた伊達氏より安達郡宮森城に移封させられ、代わって伊達氏家臣の屋代景頼が入りました。天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の奥州仕置でこの地は伊達氏から蒲生氏に与えられ、天正十九年、蒲生氏郷は蒲生郷成を入れ、益岡城と改称しました。この頃に大改修されたようです。慶長三年(1598年)、蒲生家は宇都宮に転封され、代わって上杉景勝が入り、この地には甘糟清永が城代として入り、名称を白石城に戻しました。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い後、伊達政宗の領地となり、城代として石川昭光を入れました。慶長七年(1602年)、政宗の重臣の片倉小十郎景綱に1万3千石(のち1万8千石)でこの地を与えました。元和元年(1615年)の一国一城令においても存続となり、片倉家が明治維新まで支配しました。


大手二ノ御門(本丸内から)       三階櫓(天守)西下石垣(積み直し)
現地案内板より
  
本丸外郭石垣(現存・基底部のみ残るもの)
本丸外郭石垣(現存・基底部のみ残るもの)
本丸大手御門下石垣
三階櫓(天守)<復元>
大手一ノ御門
大手二ノ御門(枡形内から)
大手二ノ御門(冠木は台湾檜で樹齢1000年らしいです。)
大手二ノ御門
三階櫓(天守)<復元>
三階櫓(天守)<復元> (石垣もほとんどが復元のようです)
三階櫓(天守)<復元>
土塁 
裏御門土塁
裏御門土塁
片倉小十郎景綱頌徳碑
三階櫓(天守)<復元>と本丸二ノ御門
三階櫓(天守)<復元>
三階櫓西下(天守)<復元>
馬場<左手の切岸は本丸・右手は二の丸>
二の丸
本丸西下石垣(多くは復元のようです)
    武家屋敷      武家屋敷の通り
二の丸大手二の門  (城内)     厩口門      
二の丸大手二の門(移築 当信寺)
厩口門(移築 延命寺)

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