伊予/ 大洲城



ファイルNo1488

木造復元天守が美しい。

                                  復元天守   

@ おおずじょう 
  別名 大津城・比志城・亀の城

A住所:大洲市大洲 
B目標地点:大洲市民会館 
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地 

F遺構等:郭・現存櫓・復元天守・石垣 
G時代/人物:(遺構)江戸期/脇坂氏・加藤氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  大洲市民会館前駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2006年05月・2017年04月

  
本丸石垣

【道案内】  ←最寄の有料駐車場の位置(市民会館)

松山自動車道大洲インタを下り、国道56号線新道を進みます。5Km先の高架で側道に下り、柚木の信号で右折しその先国道441号線を進みます。700m先で国道は左カーブ、その先大洲市役所前を直進、大洲小学前で右折します。信号を越えた先の郵便局手前で左折し市民会館前の有料駐車場に入ります。

  



【現況・訪城記録】

肱川沿いの台状に本丸がある平山城です。戦後の復元天守の中では純木造で四層四階の天守は初めて(現在の建築基準法では木造では認められない高さのため、特例)との事です。平成十六年(2004年)に完成の真新しい復元天守が美しい城址です。櫓は台所櫓と高欄櫓が本丸に、芋綿櫓と三の丸南隅櫓が現存します。石垣は二の丸一部と本丸周囲が残り天守群との見栄えがいいです。内堀はほとんど埋め立てられわずかに内堀菖蒲園にその面影が残るのみのようです。この城で一番印象的だったんは三の丸南隅櫓とその下の石垣でした。漆喰が落ちた櫓の壁はこれはこれでいい感じです。この面の石垣は外堀の斜面と思われ、今、外堀は大洲高校の運動場になってました。

2017年4月に再訪しました。桜が満開を越えたところで散り始めでした。三の丸南隅櫓が修復され綺麗になっていたのが逆に残念な感じもしましたが・・・。^^; 

【歴史】

鎌倉末期(元徳三年(1331年)?)に宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。永禄期〜天正期初期に土佐の長宗我部氏に属していた宇都宮氏の家臣大野直之が宇都宮氏を追放しました。天正十三年(1585年)に豊臣秀吉の四国征伐後小早川隆景が伊予を支配し、天正十五年(1587年)には戸田勝隆が入城、文禄四年(1595年)には藤堂高虎が支配し城代を置きました。慶長十四年(1609年)には淡路より脇坂安治が五万で入封し、現在の城を完成させたと言われています。元和三年(1617年)に脇坂安元が信濃飯田へ移封となって伯耆米子より加藤貞泰が六万石にて入封し、以後は加藤氏が明治維新まで続きました。

  
  
内堀菖蒲園
  
二の丸から天守群
  
  

近くの城・関連の城:

          

復元天守と高欄櫓(現存)       芋綿(おわた)櫓(現存)
櫓下御門石垣        二の丸石垣
本丸周囲の石垣
二の丸から天守群             本丸井戸
三の丸石垣
三の丸南隅櫓(現存)
    復元天守遠望                  復元天守と台所櫓(現存)  
二の丸から
復元天守と高欄櫓(現存)
復元天守と高欄櫓(現存)
芋綿(おわた)櫓(現存)
三の丸南隅櫓(現存)
城内で鳴いていたホトトギス
天守・櫓内より
高欄櫓(現存)・復元天守・台所櫓(現存)