越後/ 新発田城



ファイルNo1497

現存の隅櫓、表門と復元された三階櫓と辰巳櫓が水堀に映える城跡

                    本丸鉄砲櫓の位置(建物は二の丸隅櫓移築)

@ しばたじょう 
  別名 城 

A住所:新発田市大手町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・公共施設・市街地

F遺構等:水堀・櫓・門・復元櫓・碑・説明板
G時代/人物:室町期/新発田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  二の丸駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2004年05月・2011年10月

  

道案内 ←駐車場

日本海東北自動車道の聖籠新発田インタを下り、国道7号線に入ります。4km先城北町の信号で右折し県道21号線に入ります。2km先右手が城跡です。
 
訪城記録

七年ぶりに再訪しました。七年前は雨の日の夕方で早々に退散してしまいましたが、今回は晴天でしたので、隅櫓(現存移築)が水堀に映り綺麗です。また、三階櫓、辰巳櫓が復元されていますが、ここの三階櫓は、屋根がTの字であるための鯱はみっつあります。なかなかめずらしい。本丸の大半が自衛隊の敷地になってますが、三階櫓から隅櫓、表門、辰巳櫓までの範囲、L字に残る石垣、水堀と櫓が本当に美しいです。

城址碑
歴史

築城時期は定かではないようです。鎌倉期に佐々木盛綱が越後加地庄に入って加地氏を名乗り、その一族の新発田氏が築城したものされます。天正九年(1581年)、新発田重家は上杉景勝に対して対立しましたが、天正十五年(1587年)に景勝に攻められ落城しました。慶長二年(1597年)に景勝が会津に転封となり、翌年、溝口秀勝が加賀大聖寺より6万石で入りました。慶長七年(1602年)より溝口氏は旧城を取り込みながら新たな新発田城の築城を開始、完成は三代の宣直の時、承応三年(1654年)とされます。溝口氏は明治維新まで続きました。

表門                  復元辰巳櫓
復元御三階櫓                    隅櫓  
  現地案内板より                隅櫓から堀を眺める
  
隅櫓と水堀                 表門と水堀
隅櫓
土橋門石垣            2004年撮影

2004年撮影

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