越前 / 木の芽峠城



ファイルNo1204

木の芽峠城塞群の主郭的存在だが、築城形式は他の城に比べると古い

             北側(峠側)から城跡を見る 

@ きのめとうげじょう 
  別名 三度頭丸

A住所:南条郡南越前町板取・二ツ屋木の芽峠〜
    敦賀市新保

   旧:南条郡今庄町
B目標地点:今庄365スキー場 
C形式:山城  D比高:320m 
E現況:山林・畑地? 

F遺構等:郭・切岸・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:戦国期/朝倉氏(堀氏)・一向宗
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2004年06月

  
西側帯郭

【道案内】 

北陸自動車道今庄インタを下り、国道365号線を滋賀県方面へ進みます。12Km先右手に今庄365スキー場入口の大きな看板がありますのでここに右折しスキー場まで登ります。夏場ですと道はそのままゲレンデの中を登り、木の芽峠下まで到達します。峠下より20mほど登れば峠茶屋でその後方が木の芽峠城です。

  


【訪城備忘録】

夏場で藪状態で遺構はほとんど確認できませんでした。主郭である平坦地とその下を巡る帯郭の地形のみが確認できたのみです。西光寺城側に深い堀切があるようです。城としては簡単な感じで主郭は土塁もなく、南の西光寺丸城、北の鉢伏城に比べ古式な感じがします。木の芽峠城は木の芽峠の東側になりますが、反対側には観音丸(城)があり、この二つが一対となって峠を守備したと想像されます。

  
【歴史】

北陸道の難所である木の芽峠に展開される城塞群で、木の芽峠城はその中心と考えられます。永禄十二年(1569年)に朝倉義景がここに城を構築して、堀二郎三郎に守らせたとされます。天正元年(1573年)に織田氏によって朝倉氏が滅亡すると、この城には織田氏の家臣であった堀氏、阿閉氏、磯野氏(旧の浅井氏の家臣)が守りましたが、天正二年(1574年)に一向一揆によって攻められ、城は一向宗のものとなりました。天正三年(1575年)に織田信長方は再び越前に攻め入り一向一揆方を壊滅しますが、この時にこの城も落城したとされます。 

現地案内板より
左から西光寺丸城・木の芽峠城・観音丸・鉢伏城

  
木の芽峠茶屋
  
木の芽峠の碑
  
  

近くの城・関連の城:観音丸城 西光寺丸城 鉢伏城

          

現地案内板より