近江 / 九居瀬城



ファイルNo1997
                         二の郭下石垣   

@ くいぜじょう 
  別名 久居瀬城 

A住所:東近江市永源寺九居瀬町〜高野町
   
旧:神崎郡永源寺町
B目標地点:永源寺ダム

C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀切・竪堀
G時代/人物:室町期/小倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  永源寺ダム公園の観音像から25分

J撮影・訪問時期:2008年10月

  

道案内 ←城跡  ←登城口

名神高速道八日市インタより、国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で国道307号線を横切り、さらに国道421号線を6Km進み、山上小学校手前の信号を越え、3km先、相谷町の入り口のY字を斜め左に入り相谷集落に入ります。350m先のY字をまた斜め左に行き、橋を渡ります。すぐに永源寺の駐車場で、ここから道なりに2km進み、永源寺ダムのそばで、観音像が立っているところで駐車します。ここから山側にハイキング道があります。 (国道から永源寺ダムを車では渡れませんので注意)

現況・訪城記録

駐車場から山側に行くと木の階段が山へ向かっています。永源寺へ山越えで行けるハイキング道のようです。第一の尾根まで比高100mを登ります。東西に伸びる尾根まで登ると休憩場所があり、尾根を右手に進みます。(左手は永源寺方面です) 比高50m登ると南北の尾根に至ります。この尾根からダム湖、鈴鹿の山々が一望できます。主要部は尾根を右手方向に少し下り、比高50mほど登ると城跡です。尾根を左に行くとすぐに支尾根があり、ここは出丸的な存在であったようです。さらに尾根を下りて行くと鉄塔が立っていますが、この鞍部も堀切の遺構かもね。さて、主要部ですが、最後の登りを登りきると大石が散乱しています。斜面には僅かですが石垣も残存していて驚きです。二の郭まで登る道も崩落はしていますが、なんとなく石段のような感じです。主要部は二の郭と主郭があり、南側に腰郭が三日月状にあり、さらに、南斜面に2段ほどの段郭があります。この南側にも大石が散乱していて、主郭・二の郭の斜面は石垣が巡っていたと想像します。二の郭と主郭、主郭と東側尾根に浅い堀切があり、区画をなしています。この先は東側尾根になっていますが、さらに大きな石(岩かな)がゴロゴロしてます。郭としては使えないけどな。この城、出丸と合わせて馬蹄形の城郭と言えなくはないですが、主郭・二の郭もさして広さはないので、詰め城・監視の城という感じでしょうか。ただ、石垣は相当に崩壊はしてましたが、あるとうれしいな^^V

永源寺ダムから城跡遠望
歴史

小倉城に発した小倉氏の系統です。小倉氏は室町中期に分裂し、南家は小倉氏中興の祖である小倉実澄が有名で、宗家として佐久良城を本拠としました。東家が小倉城にあり、西家が山上城を本拠とし、和南城、九居瀬城などを支城として築きました。西家は小倉実治、小倉左近大夫という名が史料にあるようです。戦国期に入り、小倉氏一族は宗家を中心とした連合的形から各家が対立していったようです。永禄七年(1564年)頃、左近大夫が兵を挙げ、小倉一族が内紛となり、小倉城十七代の良秀が破れ離散し、宗家が乱を鎮圧したものの小倉氏は急速に力を失ったようで、この頃に九居瀬城も廃城になったと思われます。


二の郭下石積み                       主郭  

二の郭から主郭         浅い堀切        主郭から東尾根側

主郭下石積み                        腰郭  

出丸(尾根上から)                 尾根からの眺望

主要部遠景(出丸より)                城跡遠景(国道より)


小倉実澄の墓 

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