近江 小倉城



ファイルNo0793

        小倉源氏発祥地の碑と城址碑  

@ おぐらじょう 
  別名  −−−−−

A住所:東近江市小倉町
     旧:愛知郡愛東町小倉
B目標地点:

C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:雑木林・田畑

F遺構等:土塁・石碑・説明板
G時代/人物: 平安期/小倉氏(小椋氏)
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分


J撮影・訪問時期:2001年09月

  

道案内  

名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で左折し国道307号線に入り、1Km先で愛知川を春日橋で渡り、400m先の妹南の信号で右折して県道217号線を約3Km進みますと左手が小倉集落です。集落背後の段丘の下に城址碑と「小倉源氏発祥地」の碑があります。
 
訪城備忘録
土塁

城址碑のところから段丘上に登り、左右の雑木林に入ると郭跡のような平坦地あるいは土塁の如き盛り上がりが認められますが、これは遺構なのか自分としては判断がつきません。

歴史

【歴史】
小倉城は承暦年間(1077〜1080年)に清和源氏の後裔の小倉景実が愛知川を望む天然の要害に築いた城塞で、東は千手川より西へ2Kmの間、断崖に望んで本丸・武家屋敷・土塁・遠見櫓・外堀等があり、断崖の下には田畑に囲まれた小倉の城下町が開けていました。凡そ500年間小倉源氏は次第に勢力をまして、愛知・神崎・蒲生三郡の東部を領し、二十一の出城を構え、佐々木、蒲生両氏の隣強と雄を競っていましたが、永禄年間(1558〜1569年)に至って、小倉氏族の間に内乱が起り、第十七代城主良秀は敗れて城は焼亡し、同族は各地に散逸しました。 <現地案内板より>

小倉氏は室町中期に分裂し、小倉城は東家と言うようです。日野の佐久良城は南家、永源寺の山上城が西家と呼ばれるようです。

  

【雑記】
いまさらと言われるかもしれませんが、インターネットってすごいなって感心します。「近江の小倉氏は清和源氏・・・承暦(しょうりゃく)年間で築城??」と思ってネットで検索すると、少なくとも以下の情報がありました。「源満仲の弟の満政より始まり、美濃国八島で美濃源氏となり、満政の子の忠隆の三代目の善積惟家の子から発し、景實に至って小椋(小倉)氏を名乗るとなります。善積氏は近江高島郡善積庄を発祥とします。」 満政の生没年は定かではありませんが、兄の満仲が912年生〜997年没となっていましたので、一応成り立つのかぁと納得・・・。 善積氏系は甲賀の和田氏もそうなんだと新たな情報まで入りました。 私もネットはインターネットが始まる前のパソコン通信からかじっていましたが、以前は書籍で調べないと判らないことが、ネットで概略はわかってしまいます。あらためてネットのすばらしさだなと関心しきり・・それに比べ進歩してないなぁ自分・・・(自爆)^^;

  
  

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