近江 佐久良城



ファイルNo0787

中世豪族の城館の遺構が完存しています。

             主郭大手土橋   

@ さくらじょう 
  別名 下の城山

A住所:蒲生郡日野町佐久良
B目標地点:八幡神社
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・説明板
G時代/人物: 室町期/小倉氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓案内板より10分


J撮影・訪問時期:2005年04月・2015年06月
            2019年05月 他

  

道案内 

名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で右折し国道307号線に入り、約5Km先の日野町の中在寺の信号で左折し県道525号線に入ります。1.5Km先で県道が山に沿って(この山が城跡です)大きく左カーブしすぐにまた右カーブします。この左カーブから右カーブに移る角、路地側に直進した左手に説明板があり、ここより登ります。
 
訪城備忘録

三度目の訪城でしたが、あいもかわらず主郭内は藪だらけで主郭全体は見渡せませんでしたが、搦め手側や馬洗い池の周辺の木々が伐採されており、以前に比べ見やすくなっていました。八幡神社の説明板のところより案内標識に従い登り、神社本殿裏手を通り右上に登っていきます。右手に郭のように思われる削平地、空堀、さらに櫓台のような高まりが続き、さらに登るとピークの先に大きな空堀(現状:幅15mほど、深さ5m)があり、そこに幅3m程度と広い土橋があります。土橋を渡ると正面が主郭です。主郭はやぶ状態で見通せませんが、資料では、主郭内右手に池があった跡があり、庭園跡と考えられるそうです。道は左折し円弧を描くように歩きます。主郭の分厚い土塁の上を歩いていることになります。主郭の裏手にでると、土塁の幅がさらに広がり櫓台であるようです。その先には搦め手門跡があります。搦め手側主郭土塁外側にも堀がありますが掘底道になっています。主郭東側には城の水の手である馬洗い池が今も枯れずにあります。馬洗い池から主郭南側(大手側)に歩いて見ると、竪堀か道なのか判別つきませんが、斜面に鍵状の地形がありました。中世城館が完存しているという城跡でした。

説明板
歴史

小倉氏は清和源氏で元々愛智郡小椋庄<現:東近江市小倉>(小倉城)を本拠としていました。数家に分離し南家は文明年間前後(1469〜1486年)に、ここ桜谷一帯を領して築いた本城を「佐久良城」といい、別名「下の城山」と呼んでいます。すぐ東にある長寸山頂上の長寸城を「上の城山」といい、鳥居平にある鳥居平城、奥師にある四つ谷城、川原に残る園城などの城は、代々の小倉氏が築いたとされます。特に文武両道の名将だった戦国の武将である小倉左近将監実澄が、この城で活躍したことは数々の文献にも残されており、周囲を堅牢な土塁で囲んだ本丸跡には庭園を設けるなど、典型的な中世城郭の遺構を完全な姿で今に残しています。空堀の跡、大手と搦手門である虎口の跡、帯曲輪、お馬洗いという湧水の跡等々、見るべき遺構が随所に数多くあります。なお近くにある曹洞宗の神護山仲明寺は、小倉氏中興の英傑だった小倉実澄の菩提寺です。  (現地案内板を元に加筆しました。)

主郭土塁    竪堀
主郭土橋を空堀内横から
  
     主郭土橋    主郭空堀を土橋から
主郭と土塁
主郭を巡る土塁(主郭内より)      主郭内庭園跡周辺
馬洗い池       竪堀
2005年伐採された頃の訪城
    主郭土塁の櫓台      搦め手虎口側主郭土塁
主郭背後の空堀
主郭背後の空堀     馬洗い池

近くの城・関連の城:長寸城 鳥居平城 ※