近江/ 和南城



ファイルNo1037

    主郭土塁 

@ わなんじょう 
  別名  −−−−−

A住所:東近江市和南町
    旧:神崎郡永源寺町和南
B目標地点:多度神社・光明寺

C形式:山城  D比高:70m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・堀切・竪堀
G時代/人物: 南北期/和南氏・小倉氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  光明寺前より15分


J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内 ←登り口  ←城跡

名神高速道八日市インタより、国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で国道307号線を横切り、さらに国道421号線を6Km進み、山上小学校手前の信号で右折し、県道188号線に入ります。(この信号を左折し300m先は紅葉橋です。) 県道を2Km進むと左手が和南集落です。県道が右カーブする手前の二股を左手に入り集落内に入ります。城跡はこの集落の真ん中にある多度神社の裏山尾根上ですが、獣除けフェンスが設置され、ここからは登れません。二股を集落に入った最初の十字路に和南集落の案内板があります。ここを左折し、坂を200mほど登り、左側の路地に左折した200m先が光明寺です。城跡には光明寺に曲がらないで、さらに40m先を右折し、50m先の民家の左手より山に入り沢筋を登ります。登り口周囲は道が狭いため県道沿いに車を止めるか、光明寺付近の空き地に止めるのが無難です。
 
訪城備忘録

城跡にはU字状に登って行くことになります。道はしっかりしています。山に入るとすぐ左手に、まるで居館跡のような土塁を伴う削平地がありますが、今は荒地で昔は畑だったんでしょう。まさか遺構ではないとは思いますが^^; 沢筋を登り尾根が見え出したら道が右手方向に曲がっていますのでここを進みます。すぐに尾根に出ますので、ここを右方向尾根先端に向かいます。すぐに尾根を遮断する堀切に至ります。この堀切は思いのほか深く明瞭です。さらにこの堀切は一方の尾根端が土橋状につながっています。これは遺構でいいのでしょうか? それにしてもはっきりとした土橋です。土橋を渡ると堀切に平行して土塁を伴う郭に入るのですが、郭内は削平されたという感じでない傾斜がついていて、郭としての機能としては疑問です。この先、不明瞭ですが浅い堀切とはっきりとした高い土塁を越えると主郭です。長方形の郭で、尾根を削り込んで作られた削平地のようです。三方を明瞭に土塁が巡りますが、南側の土塁の内側には石垣を伴います。この場所は、城が廃城後に神社とかに使用されていたのかもしれません。主郭の尾根先端側の外側にはまた堀切の痕跡があります。さらに尾根先端までは細長い削平地という感じになっています。遺構は、豪族の和南氏の居館というより戦国中期の小倉氏関連の城の遺構と思われます。

堀切の土橋
歴史

築城時期などは定かでは無いようですが、南北朝時期に築城された和南氏の居城とされます。ここは永禄元年(1558年)に織田信長に味方した小倉氏と佐々木六角氏が戦った和南の合戦の舞台ともされます。

  尾根側の堀切    主郭前面(尾根先端側)土塁と堀
    主郭土塁     主郭虎口?(土塁開放部)
  

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