近江/ | 堂木山砦 |
ファイルNo1383 |
賤ケ岳合戦時の羽柴(豊臣)方の砦。 陣城ではあるが戦国末期の縄張りが残る。
@ どうぎやまとりで |
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【道案内】 北陸自動車道木之本インタを下り、国道8号線を横切り国道365号線に入ります。6Km先、余呉支所の300m手前で斜め左に下りる道があります。ここを下り、すぐ左折します。八戸集落方面に進みます。約1Km進むと、右手農道の角に説明板が立っています。この農道に右折し、山の麓まで行くとそこに西天神社という神社があります。説明板ではここから登るとなっていますが、本殿裏手で道は無くなり、右手尾根に直登になります。(私は直登してしまいました)ちゃんとした道は天神社から山すそ(用水路沿いに)を東に250mほど右手方向に進みます。高圧線を越えたところに白いガードレールがついた用水にかかる小さな橋があります。ここに堂木山尾根上にある鉄塔の管理用の道がありますのでそこから登ります。その横に余呉斎苑がありますのでその前の道が広いです。余呉斎苑には国道365号線の余呉支所から約200m先の路地に左折し、約600m先です。<堂木山砦・神明山砦の標識あります。> 尾根まで登ると堀切で、ここにも同様の標識が有り、左手が鉄塔で、その先が神明山砦、右手に登っていくと堂木山砦です。 【訪城備忘録】 神明山砦との間の堀切から右手の斜面を登ります。小郭を越えて、一騎掛けのような細尾根を登ると南側にのみ低い土塁のある郭に至ります。そこから左手に進むと尾根に横たわる堀を越えると南の郭です。主要部は南北に周囲を土塁が巡った郭が二つあります。二つは食い違い土塁の虎口で結ばれています。南側の郭は周囲を土塁が巡り、東側に虎口があり、北側に北の郭と繋ぐ食い違い虎口をぬけると北側の郭で周囲に土塁が巡り、東側下には傾斜のある横堀、北側には堀切が明瞭に残ります。東野山砦・玄蕃尾城もそうですが、陣城とは言え、戦国末期のものだからでしょうか、ここも大変技巧的な城(砦)です。 2021年04月 堂木山砦主要部は尾根先端に位置しますが、その裾野付近の北、西、東の支尾根先端部に前線砦のような箇所が三ヶ所あります。その内、堀切、土塁の残る北部遺構に行ってみました。堂木山砦から北側尾根を下りていくと鉄塔のところに出ます。手前にもう使われていない浄水施設もあります。鉄塔はフェンスで囲まれていて、右手フェンス沿いに回り込むと堀切の所に出ます。ここが北部遺構です。堀切の先に郭があり、外側に土塁が巡ってます。 麓から来るには国道365号線の余呉支所前の信号から約1.2km先を左折し、約900m先の田んぼの中の十字路を左折し、約300m先の川に鉄の橋があります。これを渡り、右手方向に進むと「火の用心」の赤い標識があるのでここを左手方向に進みます。湿地帯の淵を進むので季節によっては通れないかもしれません。ここを抜けると谷間で正面上に鉄塔が見えます。鉄塔下から左手方向に朽ちた階段があり、ここを登って支尾根まで登ると北部遺構の堀切に至ります。 北部遺構 西部遺構 北東遺構 【歴史】 天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いの際の羽柴方陣城です。最初、天神山に砦を築きますが、柴田勝家方の砦に距離が近すぎるため、合戦前に山路将監正国らに堂木山砦・神明山砦を築かせてここに兵を下げ、丹羽長秀とともに守備させました。 <現地案内板より> |
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北部遺構 |