近江/ 浮気城



ファイルNo0670

      土塁

@ ふけじょう 
  別名 


A住所:守山市浮気町 
B目標地点:住吉神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・畑地

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物:室町期/浮気氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:
2001年06月・2021年10月

  

道案内  

名神高速栗東インタとり国道8号線に野洲・近江八幡方面に進み、インタより1.5Km先の辻の信号で左折し県道11号線(琵琶湖大橋取り付け道路)を進みます。そこより2Km先左側の神社が城跡です。(岡町の信号の100m手前です。) 車では神社には県道側からでなく一本中の路地より入ります。岡町の信号を左折し、100m先の信号を左折し、さらに100m先の路地に左折します。
 
訪城備忘録
本殿背後

神社の本殿の西側にL字の土塁が巡り、神社本殿は背後(北側)まで延びています。本殿東側にも一部に土塁が残ります。 一部空堀も残ります。この城の土塁は高さもそこそこありますが、守山の市街地でここまで残っている平城はここと三宅城くらいかな。(欲賀城立入城はやや微妙な残り方。)

土塁上
歴史

浮気城の築城時期等は定かではありませんが、鎌倉北条氏系の北条時綱が浮気を領し浮気氏と名乗り、浮気時房が築いたとされます。浮気氏は観音寺城の六角氏に従いますが、六角氏滅亡後は織田・豊臣氏に従ったとされます。信長の本願寺一向一揆との対立では、守山には本願寺の金森御坊があり、これに対抗して守山城、勝部城、浮気城などが信長方拠点となったようです。 元亀二年(1571年)、金森の戦いがありました。

L字土塁
土塁のL字角と土塁の開口部(横から)
本殿背後(北側)の土塁と空堀
本殿東側土塁の痕跡
  

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