近江 / 金ケ森城



ファイルNo0735

金森長近が育った町です。

                    金ケ森城について書かれている碑

@ かねがもりじょう 
  別名  −−−−−

A住所:守山市金森町753
B目標地点:善立寺
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:寺・公園・宅地

F遺構等:類似碑・堀?
G時代/人物: 戦国期/一向一揆衆
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2005年03月

  

道案内 

名神高速栗東インタより国道8号線に入り、宅屋(やけや)の信号で左折し県道145号線を進みます。4Km先古高町の信号を右折し、500m先の小さな川を越えて、2本目の道を左折し住宅団地に入り、1本目を右折し、100m先で用水路を越えすぐ左折した突き当たりが善立寺です。最後の角から善立寺までの左手に碑があります。また、最後の角を直進してすぐに蓮如上人杖堀池跡があります。
 
訪城記録

碑のあるあたりにあったはずの林は、すべて伐採されていました。また、金森御坊の跡の善立寺は、非公開のため入れませんでした。

蓮如上人杖堀池跡
歴史

平安時代、川那辺氏が京都より移り住み、金森城を築城して周辺を領したと言われるようです。室町期、川那辺厚保春、在貞、矩厚は浄土真宗に帰依したようです。矩厚は道西坊善従(1399〜1488年)と名乗り、善立寺を開基しました。寛正六年(1465年)に京都山科本願寺が山徒(比叡山)にその地を追われた際、蓮如上人は宗祖親鸞聖人の影像を奉じて脱出、ここ金森が上人を迎えて3ケ年の間この地で教化を続けました。この地はその後、町全体を土塁・堀を巡らし金森城として石山本願寺を攻める(1570〜80年の間が石山本願寺との攻防期間)織田信長の軍を牽制しました。元亀二年(1571年)に金森の戦いが起こっています。 <現地碑+加筆>

【金森長近】
ここ金森町は戦国武将の金森長近≪大永四年(1524年)〜慶長十三年(1608年)≫が生まれ育ったところと言われています。父の定近は、美濃土岐氏一族で多治見市大畑に住しました。主家土岐氏が衰え、定近はこの頃に近江野洲郡金森(守山市)に移り大畑氏より金森氏と名乗りました。長近は金森で生まれ通称五郎八といいます。天文十年(1541年)まで住んだようです。その後、信長の母衣衆として活躍し、信長から長の一字を賜り長近を名乗りました。天正三年(1575年)に越前大野3万石の領主となります。その後、賤ヶ岳の合戦では秀吉に従い、天正十三年(1585年))に秀吉の命を受けて飛騨を攻略し天正十四年(1586年)に飛騨高山に3万8700石で封ぜられ高山城を築城しました。関ヶ原の戦いには東軍に属し領地安堵されました。 <資料より>

水路は堀跡か??    善立寺(金森御坊)
  

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