近江 | 金ケ森城 |
ファイルNo0735 |
金森長近が育った町
@ かながもりじょう |
大庄屋 諏訪屋敷 3768 |
@ すわやしき 別名 A住所:守山市赤野井町 B目標地点:赤野井別院 C形式:平城 D比高:ーm E現況:宅地 F遺構等:主屋・書院・茶室・庭 G時代/人物:戦国期/諏訪氏 H満足度: 凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間: 2分 J撮影・訪問時期:2021年04月・2021年11月 |
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琵琶湖取付道路(県道11号線)の洲本町の信号で草津方面に曲がり県道26号線(浜街道)に入ります。約1.5km先、の赤野井町の信号で左折します。約500m先、赤野井別院、専念寺を過ぎて左折します。約100m先のT字で左折し、約50m先の左手が諏訪屋敷です。 江戸後期の庄屋の住宅と書院が現存します。また、茶室は明治になって大津の円満院からの移築で江戸初期(元禄十二年(1699年)の銘のある鬼瓦があったとの事です。)の建物のようです。諏訪氏の名であり、書院の屋根の家紋を見ると形状は違いますが「梶の葉」家紋ではあります。敷地の大きさなどは長浜市の下坂氏館と同じくらいで、戦国期に来住している事もあり、土豪とも言えるのかもしれないですね。 諏訪家は一説には永正年間(1504年〜21年)に小笠原貞朝の次男の諏訪左近将監長治が信州より来住したとされます。ただ、これは定かではなく、慶長七年(1602年)の検地控えの文書には赤野村庄屋山本将監とあり、江戸期初期には山本氏と名乗っていたようです。この地は元和九年(1623年)より明治維新まで淀藩の飛び地で諏訪家は大庄屋を代々務めたようです。 |
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