美濃 / 久々利城



ファイルNo0912

戦国山城の教科書のような城跡。整備も格段に進んでいる

                 主郭より下の郭を見る

@ くくりじょう 
  別名  −−−−−

A住所:可児市久々利
B目標地点:可児市郷土歴史館・円明寺
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・堀・土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/土岐氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道沿い城址碑から10分

J撮影・訪問時期:
2001年04月・2016年10月他

  

道案内  

東海環状自動車道の可児御嵩インタを下り、料金所より左折して国道21号線バイパスを進みます。1.4Km先の古屋敷の信号で右折し県道83号線に入ります。花フェスタ記念公園を越えて、古屋敷の信号より2.5Km先の久々利の信号で左折して県道84号線に入ります。1.4Km先の右手が可児市郷土歴史館です。この前を通り過ぎると県道は右にカーブしますが、このカーブ途中に斜め左に入る道(川沿い)があります。ここに入るとすぐ左に城址碑と説明板があります。

(あるいは、中央高速道土岐インタで下り、国道19号線との交差点の大富の信号で右折し国道19号線に入ります。1.4Km先の岩畑の信号で右折し県道84号線に入ります。約10Km先の可児市郷土歴史館手前の橋を越えたところで右折です。)
 
訪城備忘録
城址碑

城址碑のところから登る右手方向に進んでいくと主郭方面ですが、登り出してすぐに谷を挟んだ左手方向にも遺構があります。これは居館と詰城という関係より主郭部とは近すぎて、また、高低差もさほどないため、一城別郭の感じに近いのですが、機能的には右手側は中世からの戦闘の城、左手側は居館・家臣団屋敷の色合いが濃い感じです。 右手側は登り始めて5分ほどで土塁を伴う虎口に至ります。左手上には三の郭が張り出して虎口を監視しています。また、左手には囮虎口と城道のような虎口と堀が三の郭下沿いにあります。虎口郭は細長い空間で途中に井戸もあります。三の郭へ繋がる虎口郭からの通路には折れも見られ技巧的な感じがします。三の郭は広い空間を有します。三の郭の上が二の郭、さらに山が主郭です。切岸が鋭く高く6mくらいづつある感じです。しかし、各郭は土塁などは巡っていません。二の郭は幅の狭い東西に延びる三日月状の郭、主郭は南北に細長く面積的には狭い感じです。主郭後方東側には東出丸があり、出丸の北側は削り残しの土塁となっています。主郭北側には二重堀切が確認できます。手前側堀切には見張り郭への土橋があり、見張り郭下は6mほどありそうな二つ目の堀切があります。二つの堀切は深く、今も明瞭です。二つ目の堀切からさらに進むと尾根東側に連続竪堀があり、尾根にはやや浅い堀切があります。この堀切の西側斜面に竪堀はクランク状の折れが入り下へと続いています。この一連は堀切ー竪堀では無くて、居館部へ繋がる城道のようです。全体的には戦国の山城という無骨感がありますが、尾根の入った城道、虎口郭などに技巧的な面もある城跡です。

2016年久々に訪城しました。以前に比べ格段に整備され、戦国の山城の教科書のようなこの城の全容を見ぜてくれます。ただ、山が丸裸状態で少しやり過ぎかなぁと思わせます。今後、木々が無くなったので、山の保水ができないとかあって崩れたりしないように整備の維持管理を願うばかりです。

三の丸(郭)を下から
歴史

第三代美濃守護の土岐頼康の弟の土岐康良がこの地に入りましたが、築城がこの時かは定かではないようです。ここの土岐氏(久々利氏)は代々、三河守悪五郎を名乗り、東美濃の強力な勢力でした。天文十七年(1548年)には金山城主の斉藤正義を久々利城内で謀殺したとされます。しかし、天正十一年(1583年)に金山城主の森長可に攻められ落城しました。

現地説明板より
虎口郭入口の土塁
  囮?の虎口              囮?の横掘城道 
虎口郭と井戸
左上は三の郭(丸)と下は虎口郭
三の郭(丸)から二の郭(丸)の切岸
三の郭から二の郭への折れのある城道        二の郭           
東出丸の尾根
東出丸とその下腰郭             東出丸と削り残しの土塁
東出丸から主郭遠望
二重堀切
二重堀切
二重堀切
城道(折れのある竪堀)
さらに折れがある竪堀          東側斜面の連続竪堀
整備前の写真
虎口空間と井戸           三の郭虎口
虎口付近                       主郭裏手土橋形状
二重堀切の写真
尾根根元の堀切
尾根先の堀切
尾根先の堀切

近くの城・関連の城: 千村陣屋 一日市場館