美濃/ 千村陣屋



ファイルNo0924

                            川沿いの道にある隅櫓石垣

@ ちむらじんや 
  別名  −−−−−

A住所:可児市久々利
B目標地点:可児郷土歴史館
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:歴史館・宅地・畑地

F遺構等:石垣・碑・説明板
G時代/人物: 江戸期/千村氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:
2001年04月 
 2016年10月・2020年12月 他

  

道案内  

東海環状自動車道の可児御嵩インタを下り、料金所より左折して国道21号線バイパスを進みます。1.4Km先の古屋敷の信号で右折し県道83号線に入ります。花フェスタ記念公園を越えて、古屋敷の信号より2.5Km先の久々利の信号で左折して県道84号線に入ります。1.4Km先の右手が可児市郷土歴史館です。ここが城跡(陣屋跡)です。

(あるいは、中央高速道土岐インタで下り、国道19号線との交差点の大富の信号で右折し国道19号線に入ります。1.4Km先の岩畑の信号で右折し県道84号線に入ります。約10Km先の左手が可児市郷土歴史館です。)
 
訪城備忘録
歴史館裏手の石垣

可児市内から県道を進んでくると歴史館手前を右折し歴史館正門横まで来ると城址碑と説明板があり、県道の橋の手前で右折し川沿いの裏手に廻ると隅櫓などの石垣が残っています。県道を挟んで向かい側には春秋園庭園と呼ばれる千村陣屋の西荘といわれる下屋敷の庭園があります。

正門横の城址碑
歴史

千村氏は木曽氏の一族で木曽家重が康永元年(1342年)に上野国千村郷に住んで千村氏を名乗ったとされます。千村氏は木曽に戻り木曽氏の家臣でありました。天正十八年(1590年)、木曽氏が下総に転封され千村氏も従いました。その後、木曽氏の改易があり、千村氏も浪人するものの、慶長五年(1600年)の関が原の戦いの時、秀忠の木曽路進攻の先導として召し出され、戦後、千村良重は4400石を与えられ久々利に陣屋を構えます。元和五年(1619年)に尾張藩に付属することとなり、尾張藩士となりますが、以前より幕府より命ぜられた伊那・高遠の山林の博木山支配の役も任されていて交代寄合として江戸に参勤交代もしていたようです。つまり、幕府と尾張藩の二重在籍だったようです。千村氏はここで明治まで続きました。

* 博木(くれぎ)山とは幕府直轄の山林で、一定の寸法に製材された木材を採取する山

春秋園
  

近くの城・関連の城: 久々利城 大森城 明智長山城 ※