美濃 / 郡上八幡



ファイルNo0487


                  夕陽に輝く模擬天守

@ ぐじょうはちまんじょう 
  別名  積翠城・郡城

A住所:郡上市八幡町柳町
    旧:郡上郡八幡町
 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・石垣・土塁・堀切・模擬天守
G時代/人物: 戦国期/遠藤氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山頂駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2002年04月・2004年12月
           2020年08月 (2015年04月)

  

道案内  

東海北陸道の郡上八幡インタを下り、国道156号線を郡上八幡市街方面へ進みます。600m先の城南の信号で左折し国道256号線に入ります。1.5Km先の右手の市役所の信号(あるいはそこまでの間で案内板に従い左折)で左折し県道319号線に入ります。吉田川を渡り案内板に従い善光寺、城山公園を経て山頂の駐車場に至ります。なお、城跡まで、城跡から下りる道は一方通行になってます。

<あるいは、郡上八幡インタを下り、国道156号の信号で白鳥方面へ出て、400m程行った五町の信号を右折し県道319号線に入り郡上八幡トンネルを越えます。トンネルを抜けてすぐのT字交差点の総合庁舎前の信号を右折し県道320号線に入ります。約800m先の中坪の信号で右折し、約1.2km先、大手門跡の交差点で右折します。50m先を右折、すぐを左折します。城跡案内があるのでそれに従い進みます。約400m先で登り道は右折です。下り道はまたここに出てきます。>。

訪城備忘録

山上に石垣遺構が残り模擬の天守や櫓などが建ちます。現在の天守は昭和八年に大垣城をモデルにした木造の模擬天守です。趣のある天守で伊賀上野城とともに模擬でありながら堂々とした感じです。山内一豊の妻(お千代)は近江の浅井氏の家臣の子で近江長浜周辺の生まれという説とここ遠藤盛数の娘という説があります。司馬遼太郎さんの小説「功名ケ辻」は近江説を採っていますが果たしてどうなんでしょ? 司馬遼太郎さんが街道をゆくで、日本一美しい天守と言われた城です。山腹の本丸跡(御殿跡)の城山公園に一豊とお千代の像が建っています。郡上八幡城を見下ろすスポットとして郡上八幡城の正面にある赤谷山山上の東殿山城からか、国道256号線沿いの堀越峠の2km手前から遠望できます。国道沿いは道幅もなくカーブの手前で見通しが非常に悪いところです。堀切峠の公園に駐車して歩いて遠望地点まで行くとか交通の邪魔にならないようにしてください。

駐車場(堀切)より模擬天守
歴史

永禄二年(1559年)に遠藤盛数が築城しました。子の慶隆は天正十一年(1583年)に加茂郡(小原城)に転封になると天正十六年(1588年)に稲葉貞通が入って城を大改修しました。慶長五年(1600年)の関ヶ原合戦時に慶隆は東軍に属し金森氏と共に西軍に属した稲葉氏(途中より遠藤氏も東軍に寝返り)の八幡城を攻めました。関が原合戦後はその功により再び遠藤慶隆が入り(二万七千石)再度改修を行いました。その後、遠藤氏〜井上氏〜金森氏と城主を替え、宝暦八年に青山幸道が入り(四万八千石)、青山氏が七代続いて明治を迎えました。

天守から桜の丸の西面
天守から桜の丸の西面      −    
(模擬)桜門      松の丸石垣
山上の松の丸の模擬櫓    山腹の本丸碑
  
東殿山城から見る郡上八幡城(2015年4月)
近江八幡城から東殿山(赤谷山)
堀越峠近くからの遠望

近くの城・関連の城:苅安城 木越城 東殿山城 ※