美濃/ | 深戸城 |
ファイルNo0486 |
@ ふかどじょう |
道案内 | |||
東海北陸高速道美並インタを下り、国道156号線を郡上(八幡)方面に進みます。3Km先の相戸の信号を過ぎ、さらに1.2Km先の深戸のバス停近く(長良川鉄道深戸駅の先)で右手に下りる道へ入ります。すぐ左折し、ここを直進し、山麓のT字で左折し、すぐの集落内で右折し坂道を登ります。登り終わると道は左にカーブします。切り通しの感じのところを越えると左手に深戸城の標識があります。ここからも主郭に行けますが、300m先で田んぼの真ん中で左折し山に登る道があります。ここを左折しますと墓地に入りますのでここの一番奥まで行きます。墓地の駐車場より左手に歩いて行くと主郭です。 |
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訪城備忘録 | |||
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墓地の所、あるいは墓地の西側の斜面も城域とする資料もありますが、明瞭な遺構は判別できません。東側には堀切と思われるところが二箇所と祠がある土塁は櫓台と思われます。 |
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東常慶が篠脇城から東殿山城に本拠地を移した天文十年(1541年)に家臣餌取弾正(えとりだんじょう)も牧谷栗栖(旧大和町)から深戸に移り築城しました。この地区は元々葺山(ふきやま)城主福手氏(ふて)の領地であったため、天文十三年(1544年)に福手蔵人は深戸城を急襲し弾正を討ち取りました。弾正の子の六右衛門は難を逃れており、常慶の斡旋で深戸城に復帰しました。その後、遠藤氏に従いますが、遠藤慶隆が天正十六年(1588年)に加茂郡に移封された際、廃城となりました。 |