飛騨 / | 帰雲城 |
ファイルNo0433 |
@ かえりくもじょう |
道案内 | |
東海北陸自動車道の荘川インタを下り、国道156号線を25Kmほど進んだ、世界遺産白川郷の手前7Km地点の国道156号線沿い右手に帰雲城埋没地の碑があります。国道に案内標識が出ています。 |
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訪城備忘録 | |
城址碑背後の帰雲山は頂上より大きく崩落している姿を今も見せています。帰雲城は周辺に金山があり、埋没前の城内には金が野積みされていたという伝承があります。城は大地震の際に多くの金塊とともに埋没したと言われています。この金塊を探すイベントが昔はありました。今はどうなんでしょ? 今は城地がどこにあったのか、どのくらいの規模だったのかも定かではありません。 |
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歴史 | |
寛正元年(1460年)に信濃より移り住んだ内ケ島上野介為氏は白川郷を支配しました。最初、牧戸城を築き、寛正年間(1460〜1466年)あるいは文明年間(〜1487年)に築城されたようです。その後、雅氏、氏理と続きますが、天正十三年(1585年)の金森長近の飛騨侵攻に際しては降伏し領地を安堵されました。しかしながら、同年十一月に大地震が発生、同時に山津波が発生し帰雲城は城内・城下の数百人とともに一瞬にして埋没してしまい、内ケ島氏は滅亡してしまいました。生き残ったものは、たまたま所用で京都に行っていた家臣のみと伝わります。 東殿山城から逃れた東常堯もここで圧死しました。 |