飛騨 | 神岡城 |
ファイルNo0419 |
@ かみおかじょう |
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金森宗貞屋敷 4021 |
@ かなもりそうていやしき 別名 金森宗貞邸・茂住宗貞邸 A住所: 飛騨市神岡町東茂住 旧:吉城郡神岡町 B目標地点:金龍寺 C形式:平城(神通川の河川段丘上) D比高:ーーm E現況:寺 F遺構等:郭・碑・説明板 G時代/人物: 戦国期/金森氏(茂住氏) H満足度: 凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分 J撮影・訪問時期:2024年03月 飛騨市神岡町の国道41号線と国道471号線の分岐点の信号からさらに国道41号線で富山県県境へ進みます。約15Km先、国道41号線沿いの左側が金龍寺てす。 方形の敷地に寺があり、現在は北と南は高い石垣になってます。(本堂背後の西側は見ませんでした。) この石垣、往時の石垣ではないと思うんですが、基礎はこの部分に石塁があったものと思われます。北東側は国道41号線の改良で削られてしまっているようです。往時は四方を石垣で取り囲み、四隅に櫓を建ててあったという事ですからほぼほぼ館城ですね。 【歴史】 元々は越前の商人で糸屋彦次郎と言ったようです。金森長近が越前大野の領主時代に繋がりができたようです。天正十三年(1585年)、長近が飛騨に転封した以後に、長近によって飛騨に招聘され、鉱山開発に従事ました。茂住宗貞と名乗り、その後、長近から「金森」の姓を与えられ、金森宗貞と名乗りました。屋敷をこの地に構えましたが、四方を石塁で囲み、四隅に櫓を上げ、南北東に櫓門があったようです。慶長十三年(1608年)、長近が死去した際、屋敷を焼いて、北陸へ退去したようです。最終的に敦賀・小浜で海運業を営んだようです。長近死後に退去したのは、鉱山開発で得た利益で相当に贅沢をしていたようで、家中内で敵も多かったようで、そのため、退去したようです。 |