飛騨 | 高原諏訪城 |
ファイルNo0417 |
江馬氏の詰城
@ たかはらすわじょう |
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【道案内】 国道41号線の飛騨市神岡町、神岡鉄道「かみおかこうざんまえ駅」で国道471号線に曲がります。高原川を渡ると国道は右折でそのまま国道を進みます。道の駅「宙ドーム神岡」で左折しすぐ右折で麓の道を進みます。円城寺の先200mくらいで左折し山を登ります。S字道を尾根まで登り、さらにカーブの右手に「高原諏訪城登り口」の白い道標がある所から登ります。 【訪城備忘録 登り始めてしばらくするといったん平坦になり、その先の大きな堀切を越えます。そこよりさらに登ると、主郭下の腰郭に到達します。主郭の切岸は高く鋭いものの土塁もなく技巧的でもありません。北東方向に段郭が続きます。私は行けてませんが、登ってきたところとは主郭の反対側(南東側)には大きな段郭・堀切が続くようです。 【歴史】 築城時期・築城者は定かではありません。少なくとも応仁の乱の後ぐらいでは江馬氏の居城であったようです。戦国期江馬氏は上杉氏と武田氏の間で揺れ動きます。時経の子の時盛が当主であった永禄七年(1564年)に、武田信玄は飯富昌景に江馬氏を攻めさせ、時盛は武田氏に従います。時盛は、子の輝盛を武田氏の越中侵攻の先手として中地山城を築き入れますが、輝盛は元々上杉氏寄りであったため、親子は不和となり、輝盛は刺客を使い父時盛を殺害します。その後、謙信が死去したため自立せざるおえない状況となり、織田信長が本能寺の変で倒れた天正十年(1582年)に三木氏と戦いますが、輝盛は敗れ、討ち死にして高原諏訪城も小島氏の手により落城しました。<資料より> |
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