飛騨 | 高原諏訪城 |
ファイルNo0417 |
@ たかはらすわじょう |
道案内 | |||
国道41号線の飛騨市神岡町、船津北の信号で国道471号線に曲が船津橋で高原川を渡ると国道は右折で、そのまま国道を進みます。道の駅「宙ドーム神岡」先の江馬町の信号で左折し、約100m先を右折で山麓の道を進みます。約500m先が円城寺前で、さらに約400m先で逆V左折し、県道484号線に入り山を登ります。つづら道を約2km先登ったU字カーブのところの右手に「高原諏訪城登り口」の白い道標がある所から登ります。 |
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訪城備忘録 | |||
2002年からなかなか再訪できなかった城です。前回、主郭まで行っただけで南下、北東下の堀切などを見てなかったので再訪したかったんですが、今回、2024年は積雪で主要部以外の斜面は下りることができずでまたまた見たい所は断念でした。また、県道反対側の尾根にある尾根遺構にも行けませんでした。結果、主郭までの訪城記です。 標識のあるところから登り始めてすぐに大きな二重堀切があります。ここの城の堅堀は長いです。二重堀切を越えていったん細尾根に登ります。尾根上は細長い平坦地で東側に土塁が続きます。この尾根を過ぎると主郭北下の大きな堀切に出ます。 堀切からいったん主郭の北東下へ登って行きます。途中、堅堀があります。北東郭群を廻り込んで主郭下まで行くんですが、この北東郭の先端にもV字堀切があるわけですが、積雪で下りることができませんでした。 北東郭群の一番上の郭に入りますと主要部です。この郭は長方形な形状です。主郭下は北、東、南に帯郭が巡っています。主郭切岸はけっこうしっかりした段差です。主郭は正方形に近い郭です。ここから傘松城や江馬下館が見えます。 登ってきたところとは主郭の反対側(南東側)には大きな堀切があり、その先にも堀切がありますが、先端の堀切まで下りられていません。 この城、堀切が大きく、堅堀が麓近くまで落ちている長い堅堀が今も残ります。 |
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築城時期・築城者は定かではありません。少なくとも応仁の乱の後ぐらいでは江馬氏の居城であったようです。戦国期江馬氏は上杉氏と武田氏の間で揺れ動きます。時経の子の時盛が当主であった永禄七年(1564年)に、武田信玄は飯富昌景に江馬氏を攻めさせ、時盛は武田氏に従います。時盛は、子の輝盛を武田氏の越中侵攻の先手として中地山城を築き入れますが、輝盛は元々上杉氏寄りであったため、親子は不和となり、輝盛は刺客を使い父時盛を殺害します。その後、謙信が死去したため自立せざるおえない状況となり、織田信長が本能寺の変で倒れた天正十年(1582年)に三木氏と戦いますが、輝盛は敗れ、討ち死にして高原諏訪城も小島氏の手により落城しました。<資料より> |
2002年訪城 |
尾根遺構資料 |
近くの城・関連の城:
傘松城 |