東三河/ | 長篠城 |
ファイルNo0149 |
設楽原の戦い(長篠の戦い)で武田勝頼軍に対して持ちこたえた城
@ ながしのじょう |
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【道案内】 東名高速道豊川インタから国道151号線を北上します。新城市中心地からさらに北上し、長篠大橋を渡って500mほど行った右手に大きな長篠城入口の看板が有ります。長篠城の信号で右折すれば駐車場です。 【訪城備忘録】 主郭の土塁と空堀は堂々としたものです。本丸から周囲を歩くと郭跡・門跡などを示す標柱が街中に建っています。大手門跡の標柱は城跡から国道を渡りコンビニの駐車場の花壇のところにありました^^;; 2005年の発掘調査では主郭の前面に三日月堀があった事が確認されたようです。 【歴史】 永正五年(1508年)に菅沼元成(田峯城初代菅沼定直の子の長篠菅沼氏初代満成の子)が築きました。 田峯城の田峯菅沼氏・作手亀山城の奥平氏と長篠菅沼氏を合わせ山家三方衆と呼ばれます。天正三年(1575年)の長篠の戦いはあまりに有名です。このときの城主奥平貞昌(のち信昌)は城兵五百余りで一万五千の武田勝頼軍の攻撃に耐えました。天正四年(1576年)に信昌は新城城を築き、長篠城は廃城となっています。 |
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2016年 |