東三河/ 新城城+新城陣屋



ファイルNo0139

戦国期は長篠の戦いの後の奥平氏の城で、江戸期は野田菅沼氏が旗本として入った陣屋

                          土塁  

@ しんしろじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 新城市入船 
B目標地点:新城小学校・新城市役所
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:学校

F遺構等:空堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/奥平氏〜片桐氏
       (陣屋)江戸期/菅沼氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  小学校正門より5分

J撮影・訪問時期:2003年2月・2004年10月

  

道案内 

野田城の入り口豊島の信号をさらに新城市内に進み、石田の信号にて斜め右へ入り 新城市役所と新城小学校の細い路地を右折 新城小学校校庭脇より、校舎反対側豊川との境の位置まで行くと新城城城址碑とそこに僅かに土塁らしき痕跡があります。
 
訪城コメント

城跡は本丸が新城小学校のグランドになって、本丸に巡っていたであろう土塁・空堀はほぼ残っていません、僅かに、グランドの端、豊川側の東端(城址碑のある場所)に土塁が、西端には土塁と堀跡の痕跡が残ります。グランド西側には太田白雪という方の句碑と説明板(元禄当時の新城城とその周辺の地図付)があります。

縄張図(現地説明板より)
歴史

天正三年(1575年)の長篠の戦い後、長篠城主の奥平信昌<貞昌は以前の名前>は家康より新城城の築城を命ぜられ、天正四年に完成しました。一説には家康の娘の亀姫を信昌に嫁がせる際、家康は長篠城では小さく、田舎過ぎると考えたからとも・・・。天正十八年(1590年)の家康の関東移封により、信昌は関東(群馬県)に移りました。替わって、吉田城主池田輝政の家老片桐半右衛門正義が城代となりました。時代は江戸期に入り、天領であった新城に水野氏(分長ー元綱)が入り、さらに、慶安元年(1648年)菅沼定実が7千石で入封し、新城城を陣屋として使用し、菅沼氏は明治まで続きます。 <現地案内板+資料より>

【新城】
新城は菅沼定継が支城を築いた(現在は新城古城と呼ばれている城跡)が、この城を「新城」と呼称したことから始まるらしいです。


  城址碑               城址碑横の谷

  

近くの城・関連の城:長篠城 野田城