東三河/ 豊橋大崎城



ファイルNo0001

田原戸田氏の豊橋侵攻の拠点の城  深い空堀と完存の土橋は必見

                              空堀

@ おおさきじょう 
  別名 

A住所:豊橋市船渡町城戸中
B目標地点:龍源院・幸稲荷神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・寺・雑木林

F遺構等:空堀・土塁・土橋・井戸・碑
G時代/人物:〜戦国期/伊庭氏〜戸田氏 
(江戸期/中島氏〜607石
    /後に1000石交代寄り合い)
H満足度:
凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  幸稲荷神社前より5分

J撮影・訪問時期:2002年09月 他

  

道案内 

豊橋市街地より県道2号線を進み、国道23号線バイパスを越えて少し走った船渡町信号を越えた大崎町との境の船渡町にあります。大崎小北という信号まで行くと行き過ぎ。県道右手の龍源院に城址碑があります。ここは大崎城の郭跡・江戸期の陣屋跡ではありますが、戦国期戸田氏の城跡は、その龍源院より県道を50mほど手前、ビジネスホテル横の路地を右手に入り、幸稲荷神社の碑がある路地を海側に入ります。稲荷社そのものも郭跡ですが、稲荷社を正面に左側、龍源院との間が主郭となります。稲荷社正面にして左手に小道があり(夏場は下草で隠れていますが「大崎城空堀」という案内板があります。)そこから空堀に入ります。
 
訪城コメント

東三河海岸部で戦国期の遺構の城郭の中で空堀がこれほど深く明瞭に残っているのは少ないです。空堀は幅5m程度で主郭の三方を囲んでおり、稲荷社から左手に進むと主郭への土橋にぶつかります。左側より回り込んで土橋より主郭に入ります。この土橋は完存といえ必見ですね。主郭は竹藪状態で見通しは悪いですが、周りを3m近い土塁が囲みます。主郭中央に大きな井戸がありますが、戦争中の軍隊の工作物の可能性もあるらしいです。いずれにしても危険であり注意されたし。土塁上部と空堀底部までは8mほどの落差があり、 往時は遠江の諏訪原城並の空堀であったと思います。この堀は「杉山堀」と呼ばれています。それは、築城の際、杉山村などの人々が徴発されて築かれたためついた名前です。入って来たと城跡をはさんで反対側は現在は運河となっていますが往時は海でした。今は運河の堤防沿いは釣りをする人でシーズンはいっぱい。この堤防沿いからも稲荷社裏手より城跡に入ることはできます。稲荷社裏手の土塁あるいは稲荷社右手の堀状も遺構の一部とされます。

龍源院の城址碑
歴史

永正年間初期(1504年〜頃) この地は伊庭氏の居館があったとされています。永正十六年、吉田城を今川氏の援軍を得た牧野氏に追い落とされた戸田金七郎宣成は田原防衛のため大崎城を改修・拡張して入城しました。天文十六年〜十七年(1546〜7年)に戸田氏は今川氏に敗北し、田原城とともに大崎城も落城し荒廃します。慶長六年(1601年)に旗本中島与五郎重好が六百七石で入り、この地に陣屋を構えました。


空堀〜杉山堀と呼ばれる           土橋(奥が主郭)

   土橋前面の土塁           土橋を堀より(横から)

     
主郭内から土塁            龍源院側の空堀

近くの城・関連の城:田原城  吉田城  伊庭城