東三河/ 田原城



ファイルNo0117


                          復元門と水堀  

@ たはらじょう 
  別名  巴江城・今宮城

A住所:田原市田原巴江
B目標地点:田原博物館     
C形式:平城  D比高:−−− 
E現況:山林

F遺構等:空堀・郭跡・復元櫓・復元門・碑
G時代/人物: 戦国期/戸田氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2001年12月 

  

道案内 

国道259号線を豊橋市街地より南下、谷熊の信号の先で259号線は旧道とバイパスに分かれます。その旧道にて田原市街地へ入ります。豊橋鉄道渥美線の三河田原駅前の菅町信号を右折し晩田の交差点で左折、次の路地を左です。左手前は巴江神社、左向こうは田原中学となっています。左折するとすぐに田原博物館の駐車場となります。田原博物館一帯が田原城です。
 
訪城コメント

田原町博物館・巴江神社敷地として城跡は残ります。本丸の土塁・空堀などが残り、(本丸下に復元など手の加えた形跡のない石垣もありました。)二の丸櫓と桜門が模擬復元されています。城跡周辺を歩くと武家屋敷なども残ります。これとは別に、車でわりと近い、蔵王山山頂の展望台からは東三河が一望できます。これはなかなかの景色でして、夜景がまた綺麗です。

歴史

文明十二年(1480年)戸田宗光にて築城されました。その後宗光は二連木城を築き移り 田原城は嫡男憲光が城主となりました。宗光が船形山城にて今川氏に破れ討死して以後、憲光は今川氏に属しました。享禄二年(1529年)松平清康が東三河に進出し、戸田氏の四代宗光は清康と和睦し松平氏に属します。清康が享禄四年(1531年)に亡くなると、戸田氏は吉田城を奪います。 天文十六年(1547年)に松平広忠が嫡男竹千代(のちの徳川家康)を今川氏へ人質として差し出す際に、戸田宗光(四代)・尭光は竹千代を奪い織田信秀へ送りました。これに際し今川義元は田原戸田氏を滅ぼします。その後は今川氏の朝比奈氏などが城代となります。義元死後、松平元康(徳川家康)が進出、本多氏が田原城に入ります。家康が関東移封後、吉田城池田照政(輝政)の支城となった田原城は、城代として伊木清兵衛忠次が入り大改修されたようです。関が原の戦いの翌年の慶長六年(1601年)に伊豆下田より戸田尊次(伊豆下田は天正18年に高縄城戸田氏が移封された)が入封、ついで、寛文四年(1664年)に挙母より三宅康勝が1万2千石にて入封し、以後、三宅氏が明治まで続きました。 (資料より)

復元櫓                  空堀
  

近くの城・関連の城:高縄城 二連木城 大崎城