西三河/ 雨山城



ファイルNo1860

雨山合戦の地

                           合戦碑 

@ あめやまじょう 
  別名 阿知波城・雨山砦 

A住所:岡崎市雨山
    旧:額田郡額田町雨山
B目標地点:雨山ダム

C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:無し・類似碑
G時代/人物:戦国期/阿知波氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−−

J撮影・訪問時期:2008年04月

  

道案内  

東名高速道豊川インタを下り、国道151号線を豊橋方面に出ます。すぐの豊川IC南の信号を右折し県道31号線に入ります。1km先で左折し、旧道の県道31号線に入ります。1km先を右折し県道334号線に入ります。1.4km先で東名高速道のガードを越え、900m先の県道21号線との交差点の千両町の信号を越えます。4km先で杣坂峠を越え、さらに3km先の大代町で右折し県道382号線に入ります。3.2km先の雨山集落を越えた雨山ダム手前に右手に「雨山合戦の碑」があります。
 
訪城コメント

2007年に宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」を一気に五巻読みました。一巻出て、次の発売が待ち遠しいくらいでした。舞台は野田菅沼氏三代記ですが、小生の単身赴任の地域であり、思い入れはその分多かったという事でしょうか。この小説の中で出てくる舞台で唯一かも?訪れていなかったなと気になっていたのが雨山でした。愛知県の資料では遺構無しという事になってましたので、行きそびれたものです。三河の山間の地であり、今は静かな地ですが、ここでも命を懸けた戦いがあったんかと思うと来た甲斐を感じます。城については当日は雨であり、資料の遺構無しを信じて城域推定の地には踏み込みませんでした。雨山ダムそばには平成四年に建てられた雨山合戦碑のみがあるだけです。<定村の墓(供養塔)と推定されるものがダム近くにあるようですが。>

城跡遠景
歴史

永正三年(1506年)頃、阿知波九三定助が築いたようです。弘治二年(1556年)、阿知波修理定直は作手奥平氏とともに今川氏に叛いて織田氏に付いたため、今川義元は伊奈城の本多忠俊、二連木城の戸田宣光、野田城の菅沼織部正定村など東三河七将に対して、雨山城を落として、亀山城の奥平氏を攻略するよう命じたため、雨山にて合戦となりました。阿知波定直(奥平貞勝の妹の子)、五郎右衛門守之兄弟は奥平貞勝、貞能親子の援軍をもって戦い、この戦いで、野田の菅沼定村、定貴、定満兄弟が討死しました。城は他の今川勢が攻め、奥平氏らは作手に後退しました。阿知和氏も奥平氏に従い、その後、奥平に改称しました。雨山城はその後もなんらかの機能はしていたようで、天正十八年(1580年)頃の廃城のようです。

  

近くの城・関連の城:滝山城