西三河/ 滝山城



ファイルNo0947

   城址碑

@ たきやまじょう 
  別名  亀穴城

A住所:岡崎市明見町ー宮崎町
    旧:額田郡額田町宮崎
 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:石碑・説明板・(堀切)
G時代/人物: 戦国期/奥平氏 
H満足度: 途中断念

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−−

J撮影・訪問時期:2005年07月

  
城址碑と説明板

【道案内】 ←城址碑

東名高速道音羽蒲郡インタを下り、国道1号線で右折し岡崎市内へ向かいます。4.7Km先の名鉄線本宿駅を越えたところの本宿町沢渡の信号を右折し国道473号線に入ります。6Km先の額田町月秋の信号で右折し県道37号線に入ります。7Km先明見集落を越えて200m左側県道沿い崖下に説明板と城址碑があります。




【訪城備忘録】

県道沿い左側(男川の反対側)岩の壁が続くその途中にパックリと開いた所に清水が流れ落ちており、ここに城址碑と説明板があります。城址碑のところより山に登る道が続いているようですが、今回は登りませんでした。資料によれば、山上の遺構は明瞭ではないようです。登るのは宮崎神社・明見集会所の北側から登れるようです。男川の対岸の万足平に城郭関連ではありませんが、滝川合戦の戦没者関連の三つ石や江戸時代後期に作られた猪垣があります。この猪垣ですが、高さが2mほどあり延々と続いていて見応えがあります。いろんなところで猪垣を見えますが、こんなりっぱなのは初めて見ました。

【歴史】

作手奥平氏五代奥平貞能が築いたとされます。天正元年(1573年)に奥平貞能・信昌親子は武田氏に背き亀山城を退去し滝山城に入り武田氏に抵抗しました。徳川氏の援軍があり武田勢は退きましたが田原坂にて激戦となり、この戦いを滝山合戦と呼ばれます。<現地案内板より>

  
城跡遠望 
  
  

近くの城・関連の城:久保城

          

滝山合戦の三つ石    江戸後期の猪垣