東三河/ | 伊奈城 |
ファイルNo0132 |
徳川氏三つ葉葵の紋の発祥の地と言われる城
@ いなじょう |
道案内 | |||
豊橋市街地より国道23号線を西に進み、豊橋市と小坂井町の境の浜田橋(佐奈川)の信号に伊奈城の大きな標識があります。信号を右折し、県道375号線手前左側に城址公園があります。遠くから、新幹線ガード横に模擬櫓が見えます。 |
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訪城備忘録 | |||
城跡は大土塁が城跡の雰囲気を保ちます。城跡は整備されており「堀と逆茂木」の発掘報告説明板や模擬櫓などがあります。この伊奈城は徳川の「葵の紋」の発祥地とされています。伊奈本多氏は江戸期は大津・膳所6万石藩主として明治を向かえます。 |
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室町期前期に本多定忠・定助によって築城されました。その後、本多康俊の時、天正18年(1590年)に徳川家康の関東移封に従い、下総(千葉県)小篠に移って伊奈城は廃城になりました。 <三つ葉葵の紋> 享禄二年(1529年)、五代伊奈城主本多正忠は、松平清康の吉田城攻めに参加し、これを落城させました。ついで、田原城に転戦しましたが、戸田氏が降伏したので正忠は清康を伊奈城に招き、戦勝の祝宴を開きました。この時、水葵の葉を敷いて酒肴を出したところ清康は大いに喜び、それ以後伊奈本多氏の「立葵の紋」を松平氏の紋とするとし、その後、徳川氏の「三つ葉葵の紋」に引き継がれました。 <現地案内板より> |
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