西三河/ | 挙母桜城 |
ファイルNo0222 |
二の丸石垣が検出されました。(2006年)
@ さくらじょう |
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【道案内】 豊田市中心部の国道153号線と国道301号線の交差点「挙母1丁目」の信号の北側<国道153号線>の「挙母1丁目北」の信号の次の路地を左折、NTTビルの裏手の桜公園に石垣が残ります。 【訪城備忘録】 矢作川の氾濫のため未完成のまま築城が途中で断念された城。今は櫓台の石垣が残るのみですが、けっこうりっぱな石垣ですので満足です。 2006年3月 桜公園の西側の信用金庫の建設現場から二の丸の石垣が検出されました。隅櫓の石垣同様に打ち込みハギの石垣が2〜3段が見られましたが、ビルの下に埋もれてしますようです。 【歴史】 慶長九年(1604年)三宅康長が三宅氏の旧地挙母に入封、慶長十九年(1614年)にこの城を築きました。三宅氏四代康勝が寛文四年(1664年)に渥美・田原城へ移封、城は破却させます。その後、本多氏の陣屋時代を経て、寛延二年(1749年)に内藤政苗が2万石で入封し、この地に再築城を開始するも、たびかさなる矢作川氾濫で築城を断念、二代学文は新たに七州城を築いて桜城は放棄させました。 |
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