丹波 | 柏原八幡神社 |
ファイルNo3744 |
@ かいばらはちまんじんじゃ |
道案内 ←八幡神社駐車場 | |||
舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道94号線に右折します。700m先の味間新の信号で右折し国道176号線に入ります。18km先、柏原新町の信号で斜め右に入ります。500m先の左手に歴史民俗資料館、右手が陣屋です。 その前の信号を左折します。約250m先のT字を右折し、道なりに約200m先右手が駐車場です。 |
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訪城備忘録 | |||
柏原の町の北側の丘の上に神社があります。陣跡という事になるので城跡と言ってもいいんでしょうけど遺構はないようです。現在ある社殿は豊臣秀吉が堀尾吉晴に命じて再建したもので、拝殿と主殿がいっしょになった数少ない形式で重文に指定されています。また、明治の神仏分離でここは神社が残ったんですが、神宮寺であった乗宝寺は独立しましたが、幕末に再建された三重塔と鐘楼はここに残りました。全国で18しかない神社にある三重塔だそうです。 ※本殿と拝殿が一体化されている社殿を複合社殿というようですが、福井の越前市にある大滝神社はさらに複雑です。 多重塔が神社にある例としては奈良の桜井市にある談山神社は十三重塔です。 |
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万寿元年(1024年)に創建とされます。創建当時の建物は南北朝争乱の中で兵火によって焼失しました。織田信長の命で明智光秀が丹波に進行します。当初、波多野宗長、宗貞がこの地に陣を張り、光秀を迎え撃ちましたが、天正七年(1579年)五月、明智光秀に攻められ、波多野軍は退却し、その際に建物は焼失しています。光秀は高見城攻めの陣をここに張りました。天正十年(1582年)、羽柴(豊臣)秀吉は黒井城主の堀尾吉晴に命じて社殿の再建をしました。 |
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