大和 多武峰城塞群
御破裂山城



ファイルNo3954


           大堀切           

@ とうのみね・ごはれつやまじょう 
  別名  

A住所:桜井市多武峰
B目標地点:談山神社(たんざんじんじゃ)
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切
G時代/人物:戦国期/妙楽寺(多武峰寺)勢力
H満足度:途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2023年07月・11月

  

道案内 

西名阪道の天理インタを下り、国道169号線を南下します。約21km先の阿部の信号で左折し国道165号線に入ります。約1.6km先の薬師町の信号で右折し県道37号線に入ります。約7km先の八井内の信号を右折し県道155号線に入ります。約1.5km先に談山神社の第三駐車場があります。神社は右手下りて行った先です。

徒歩で行かれる場合は談山神社(たんざんじんじゃ)(有料)に入り、十三重塔の西側、権殿の裏手に談山、御破裂山への登り口があります。談山(かたらいやま)を経由して御破裂山まで510m(20分)と表記がありました。

車でも行けるのは行けます。第三駐車場からさらに県道155号線を明日香村(石舞台方面)に進みます。約400m先に右手に登る道がありますので、ここを登ります「@」。すぐに左右に道があります。右は西門跡です。左に進みます「A」。約250m先の右手民家の脇の路地に右折します「C」。ここが林道入口です。約1.2km先が徒歩の道との合流点で、ここに車を停車させ、200m先が鎌足の墓です。 なお、入口から約800m(林道終点駐車位置から約400m手前)に林道がやや広くなっているところ「E」があります。停車位置にはここから下って再び登った先になりますが、この広いところの左に藪がぽっかり開いています「D」。ここ下って尾根を西へ約600m進むと増賀上人の墓のところに至ります。

訪城備忘録

前回は談山神社から徒歩で談山経由で御破裂山(藤原鎌足墓)までは行ったんですが、資料をもってなかったんでここでUターンしていましたしたが、秋にリベンジしました。今回は車道(林道)で行ってみました。

正面に鎌足墓の頂を見ながら左手へ廻ります。左手下に二つ郭の跡があります。 もうけもの道のような細道をさらに進み、頂の反対側に行くと綺麗な堀切があります。さらにその先にも土橋を伴う明瞭な堀切があり、二重堀切になってました。堀切の先の平坦地をやや左手の尾根を進むと尾根先端の小郭があり、その先にものずごい深い堀切があります。高低差は5mほどでしょうか?なかなかの堀切でした。横幅、深さも大きくて写真に全体の姿が撮れないので、部分写真になってしまいました。最初、ここが築かれたのは平安期とも言われますが、遺構は戦国の城ですね。

歴史
談山神社の山への登り口













中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)はこの地、談山で大化の改新の談合をしたと伝わります。白鳳七年(678年)、鎌足の長子の定慧和尚が鎌足の遺骨をこの地に改装し十三重塔と講堂を建立し妙楽寺と名付けたのが始まりで、大宝元年(701年)、神殿を立て、鎌足の御神像を安置したのが談山神社の始まりとされます。寺は多武峰寺とも言われます。元々は興福寺の末寺でしたが、延暦寺の末寺になり、興福寺とは争う勢力となったようです。

以後、平安期から戦国期まで何度も抗争に巻き込まれ焼失を繰り返しました。 室町前期では、興福寺と対立した越智氏、箸尾氏がこの地に籠り焼失し、戦国期に入り、永正三年(1506年)、赤沢氏に攻められ焼失しました。さらに、永禄二年(1559年)より、松永久秀との10年に及ぶ抗争があったとされ、今見る遺構はこの頃に築かれたとされるようです。江戸期を越え、明治二年(1869年)、神仏分離令により妙楽寺は廃され、談山神社となりました。

  二重堀切   
林道からの眺望   中央のポツンとした山は大和三山のひとつの耳成山のようです
   
御破裂山藤原鎌足の墓      南下の段郭
二重堀切(郭側)
二重堀切(郭側)
二重堀切(尾根側)と土橋
二重堀切(尾根側)と土橋
二重堀切より先の尾根
大堀切
大堀切
大堀切
大堀切
大堀切
談山神社
拝殿と楼門<戦国期再建・重文>
拝殿
楼門
拝殿内
談山神社本殿<再建江戸末期・重文> 
本殿
十三重塔<再建戦国期・重文>
権殿<再建戦国期:重文>
神廟拝所(旧:講堂)<再建江戸初期:重文> 
末社・総社拝殿<江戸初期創建・重文> 
末社・総社本殿
<江戸初期造営の談山神社旧本殿(東殿より新しい)を江戸中期に移したもの・重文> 
東殿(恋神社)<江戸初期造営の談山神社旧本殿を江戸初期に移したもの・重文>
閼伽井屋(あかいや)<再建江戸初期・重文>
西宝庫<江戸初期造営・重文>       東宝庫<江戸初期造営・重文>
西大門跡石垣
西大門跡石垣
東大門<再建:享和三年(1803年)の建立で城郭作りの門>
東大門
談山
談山(かたらいやま)
談山(かたらいやま)
談山(かたらいやま)から御破裂山への尾根道
前方が御破裂山藤原鎌足の墓
御破裂山城への車道(林道)  
@ 県道から登ってきた地点       A 登った地点は左に
B  分岐からのY分岐地点         C  林道の入口
D この開口部を西に進むと増賀上人墓です。   E ここを下って再び登りきると終点です。
F 「E」地点のところからの眺望

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